
いろいろな説がありますが、鎌倉検定でも出題された主なものを紹介します。
1 | 神武天皇が東国を征服しようとした時、多数の兵士の死体が山となって今の鎌倉の山ができた。 それが「屍蔵」(かばねくら)と呼ばれたのがなまって「かまくら」になった。 |
2 | 藤原鎌足が鹿島神宮への参拝途中、由井里(ゆいのさと:今の由比ガ浜)に泊まった時、不思議な夢をみた。 夢で神のお告げにより、護身用に所持していた鎌槍(かまやり)を、大蔵の松ヶ岡に埋め、そこから「鎌倉」になった。 |
3 | 鎌倉の海岸近くには蘆(あし)や蒲(がま)が群生していたことから蒲倉と呼ばれていた。 それがなまって「かまくら」になった。 |
4 | 比叡山にも鎌倉という地名があり、「神倉」(かみくら)とか「神庫」(かみくら)がなまったものと考えられていた。 鎌倉にも「神庫」があったので、それがなまって「かまくら」になった。 |
5 | 鎌はもともとは「かまど」のことで、倉は「谷」を意味する。 鎌倉の地形は、三方が山で一方が海になって開けていて、形は「かまど」に似て「倉」のように一方が開いているので、「かまどくら」がなまって「かまくら」となった。 |
いろいろありますね。
<烏帽子をかぶった白拍子がひざまずいたような形の現在の鎌倉市>

<鎌倉市の五つの地域>
