2015年11月10日

日蓮の「松葉ヶ谷の法難」を知る

日蓮の四大法難のうち、最初の法難を見てみました。

・1253年、日蓮は安房国から名越切通を越えて鎌倉に入りました。
 その辺りで水を求めて杖を突き刺すと、突然、清水が湧き出たというのが、「日蓮乞水」です。
 ・・・・・鎌倉五名水の一つ。
日蓮乞水
 日蓮乞水.JPG

・そして、その地「松葉ヶ谷」に庵を結んだのでした。
 それが、「安國論寺」とも「妙法寺」ともいわれていますが、はっきりしません。

・「安國論寺」には、本堂の向かいに道場とした「御法窟(日蓮岩屋)」という岩窟があります。
<「御法窟(日蓮岩屋)」(安國論寺)>
 日蓮岩屋.JPG

・「妙法寺」には、「奥の院御小庵跡」があります。→「鎌倉検定の試験日は間近です」を参照。

・1260年、日蓮は「安國論寺」で「立正安国論」を書き、前執権の北条時頼に建白しましたが、幕府には受け入れられませんでした。
 この後、念仏者が松葉ヶ谷の草庵にいた日蓮を襲撃し、草庵を焼き討ちにしました。
 これが「松葉ヶ谷の法難」で、日蓮は4度の大法難にあいましたが、これが最初の法難です。

・この時、「山王大権現」の化身である「白猿」が現われて、夜道を裏山の洞窟へと導いてくれたとの伝説があります。
 安國論寺には、この伝説の洞窟「南面窟」が今も残されています。
南面窟(安國論寺)>
 南面窟1.JPG

・そして、「名越切通」に続く裏山にある逗子市の「法性寺(ほっしょうじ)」に逃れたということです。
 ここにも日蓮が避難したという岩窟が残されています。
日蓮の岩窟(法性寺)>
 日蓮岩窟.JPG

・この岩窟の上には、山王大権現が祀られています。
山王大権現(法性寺)>
 山王大権現.JPG

最後に、以上の関連場所の位置を確認しましょう。
<松葉ヶ谷法難の関連地図>
 松葉ヶ谷法難地図.jpg
 
posted by トシ999 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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