
◎開基「英勝院」のこと
「お勝の方」は、元「お梶の方」といい、戦場にまで家康のお供をし、勝利を導いたので、縁起のいい「お勝」の名をもらったということです。
※太田道灌―資康―資高―康資―お八(お梶→お勝→英勝院)
明治の末ごろまでは立派な橋が架かっていたということですが、今は、石碑のみです。
家康の死後、出家した英勝院は、20年後の1636年、太田道灌の土地に寺を建立しました。
英勝寺の住職には頼房の娘の小良姫がなり、水戸家の寺としての歴史を重ねてきました。
◎太田道灌の墓
英勝寺の墓地の裏、壽福寺裏手から源氏山に登っていく道の途中に、道灌の墓があります。
兵法に長じ、学問や和歌にもすぐれた人物でしたが、1486年、主君上杉定正により謀殺されました。
この墓は、1826年に水戸徳川家の子孫である英勝寺住職が以前の墓を再建したものということです。
◎花木
ツバキ、ヤマブキ、ヒガンバナ以外にも、いろいろな花が咲きます。
・ウメ(2月)
・スイセン(2月)
・ミツマタ(3月)
・サンシュユ(3月)
シャガ(5月)
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