2016年04月04日

鎌倉英勝寺についてのあれこれ

前回紹介した「英勝寺」についての追加情報です。

◎開基「英勝院」のこと
英勝寺案内板.JPG徳川家康に仕えた「お勝の方」は、家康の死後に出家し、「英勝院」と名を改めました。

「お勝の方」は、元「お梶の方」といい、戦場にまで家康のお供をし、勝利を導いたので、縁起のいい「お勝」の名をもらったということです。

 ※太田道灌―資康―資高―康資―お八(お梶→お勝→英勝院

勝ノ橋1.JPG壽福寺の門前には、「お勝の方」が架けたという鎌倉十橋の一つ「勝ノ橋」がありました。

明治の末ごろまでは立派な橋が架かっていたということですが、今は、石碑のみです。

 勝ノ橋2.JPG

英勝寺扁額.JPG徳川家康は、子を亡くして悲しみに沈む「お勝の方」に、徳川頼房の養育を命じ、「お勝の方」は母となって頼房を育て、水戸徳川家の基礎も築き上げました。

家康の死後、出家した英勝院は、20年後の1636年、太田道灌の土地に寺を建立しました。

英勝院の墓.JPG祠堂背後にある石塔は、「英勝院の墓」ということです。

英勝寺の住職には頼房の娘の小良姫がなり、水戸家の寺としての歴史を重ねてきました。


太田道灌の墓
 英勝寺の墓地の裏、壽福寺裏手から源氏山に登っていく道の途中に、道灌の墓があります。
太田道灌の墓.JPG道灌は、1457年に江戸城を築き、扇谷上杉家の家宰として活躍しました。
兵法に長じ、学問や和歌にもすぐれた人物でしたが、1486年、主君上杉定正により謀殺されました。
この墓は、1826年に水戸徳川家の子孫である英勝寺住職が以前の墓を再建したものということです。

◎花木
 ツバキ、ヤマブキ、ヒガンバナ以外にも、いろいろな花が咲きます。
ウメ(2月)
英勝寺ウメ.JPG

スイセン(2月)
英勝寺スイセン.JPG

ミツマタ(3月)
英勝寺ミツマタ.JPG

サンシュユ(3月)
英勝寺サンシュユ.JPG

シャガ(5月)
英勝寺シャガ.JPG

 
posted by トシ999 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺院・神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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