2016年08月31日

鎌倉十橋についてのまとめ

 鎌倉市に関する知識の中で、鎌倉検定対策として「鎌倉十橋」は大切です。

 鎌倉検定公式テキストブックには、次のように紹介されています。
 鎌倉を流れる滑川、逆川、山ノ内川などに架かる橋のなかで、古くから伝説が残る十の橋のことをいう
 十井などと同じく、江戸時代になって鎌倉名数の一つとして観光用にいわれるようになった。

<鎌倉十橋とは、次の十の橋です>
 鎌倉十橋地図.jpg
1 歌ノ橋
(うたのはし)
歌ノ橋.JPG
 二階堂川が滑川に流入する辺りに架かる。
 1213年、謀反の罪で捕えられた渋川刑部六郎兼守は、無実の罪を晴らすために十首の和歌を詠み荏柄天神社に奉納した。将軍源実朝は、その和歌を見て感心し、罪を許し釈放したので兼守は死刑を免れた。
 そのお礼にと荏柄天神社の参道近くにこの橋を架けたので、歌ノ橋と呼ばれるようになったと伝えられる。
2 夷堂橋
(えびすどうばし)
夷堂橋.JPG
 本覚寺門前を流れる滑川に架かる橋で、その名は本覚寺の鎮守社の夷堂が近くにあったことに由来する。
 この辺りの滑川は、夷堂川とも呼ばれる。
3 勝ノ橋
(かつのはし)
勝ノ橋.JPG
 英勝寺を開基した尼僧お勝の局が架けたので、勝ノ橋と呼ばれていた。
 壽福寺の門前にあり、明治の末ごろまでは立派な橋が架かっていたという。
 今は庚申塔の横に石碑と敷石があるだけである。
4 裁許橋
(さいきょばし)
裁許橋.JPG
 御成小学校近く、今小路を横断して流れる佐助川に架かる橋。
 橋の名は、訴訟を裁許(判決)する問注所が近くにあったことに由来するという。
 また、僧侶であり歌人でもあった西行が鎌倉に来たとき、この橋の上で源頼朝に名前を問いただされたとか、西行がこの橋の近くをよく通っていたということから、別名「西行橋」ともいわれている。
5 逆川橋
(さかがわばし)
逆川橋.JPG
 「さかさがわばし」ともいわれる。
 逆川は、名越から流れる川筋が屈曲して北上し、川の流れが逆行しているように見えるので逆川というが、ちょうど逆行する辺りに架けられているのでこのように呼ばれる。
6 十王堂橋
(じゅうおうどうばし)
十王堂橋.JPG
 北鎌倉駅前から鎌倉街道を大船方面に150mほど行ったところにある。
 昔、この橋のそばに閻魔など十王を祀った十王堂があったため、このように呼ばれている。
7 筋違橋
(すじかえばし)
筋違橋.JPG
 宝戒寺近くにあり、金沢街道(六浦道)に対して「く」の字に架かっていたため、筋違橋といわれるようになったといわれる。
 鎌倉十橋の1つだが、現在では暗渠となり、石碑のみが往時を語る。
8 針磨橋
(はりすりばし)
針磨橋.JPG
 別名、「我入道橋(がにゅうどうばし)」ともいう。
 極楽寺川に架かる橋で、その名の由来は、昔、辺りに針金を磨いて針をつくる老婆が住んでいたことにあるとも、近くに我入道という僧侶が住んでいたからとも。
9 琵琶橋
(びわばし)
琵琶橋.JPG
 佐助川に架かる橋で、下馬四ツ角の南側にある。
 1955年(昭和30)ころまでは、朱塗りの橋があったが、その後、コンクリートの橋として舗装、1992年(平成4)に御影石の新しい橋が再建された。
 橋の名前は、若宮大路のこの辺りを琵琶小路といったことから。
10 乱橋
(みだればし)
乱橋.JPG
 材木座の水道路交差点から海の方へ少し行ったところに架かる。濫橋とも書く。
 新田義貞の軍勢が鎌倉に攻め入った時、北条幕府軍の防御線がくずれはじめたのがこの橋の辺りだったことから、乱橋と呼ばれるようになったといわる。

 
posted by トシ999 at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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