2017年05月26日

鎌倉検定−天変地異起こる(1253年11月25日)を読む(15)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「建長寺創建」です。
(35)建長5年(1253)11月25日
 建長寺供養が行われる。建長寺は、北条時頼によって、鎌倉郊外の山内に建立された寺院。
 建長3年(1251)11月より建設工事が行われ、すでに完成していたが、この日に、蘭渓道隆を導師として供養が行われる。丈六の地蔵菩薩像を中尊とし、地蔵菩薩像千体が安置される。
 朝廷と鎌倉幕府の長久、天下泰平の祈願と三代の源氏将軍と北条政子、北条氏一門の供養のために、五部大乗経の写経が行われる。

巨福山建長寺(山ノ内)
5月の建長寺総門から三門を望む
 建長寺総門.JPG

仏殿に安置された「地蔵菩薩像」
 建長寺地蔵菩薩像.JPG
 ※このお寺については、「北鎌倉のお寺を見る(巨福山)」を参照。

蘭渓道隆(1213〜1278年)
 1246年に南宋より日本に渡来した臨済宗の僧。「大覚禅師」とも呼ばれます。
 北条時頼の帰依を受け、建長寺の開山となりました。
 建長寺の開山となる以前は、「常楽寺(大船)」で禅を広めました。

鎌倉には、「蘭渓道隆に関する国宝」が2件あります
 @絹本淡彩 蘭渓道隆像
  この頂相(ちんぞう)は、写実的かつ繊細な描写で人間をリアルに表すとともに自ら讃をした画像です。
  →「鎌倉国宝館 収蔵品紹介(絵画)HP」を参照下さい。

 A大覚禅師墨蹟 法語規則
  法語は、衆僧が修行するうえでの心構えを記したもの。規則は、僧堂での取り決め、罰則をしたためたもの。
  →「鎌倉国宝館 収蔵品紹介(書跡・古文書)HP」を参照下さい。

「開山忌」は、7月23日、24日に行われます
 建長寺開山忌.JPG
 ※「建長寺開山忌はどんな行事か?」を参照。

 
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2017年05月20日

鎌倉検定−鎌倉幕府執権政治のこれまでの流れ

 ここらで、これまで「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)で見てきた歴代の将軍と執権の交代の流れをまとめてみました。
 源実朝が第3代将軍に就任してから、執権政治も始まり、やがて得宗専制政治へと発展していきます。
将軍
執権
主な出来事
・1203年
・1205年
 
 源実朝就任
   実朝
 北条時政就任
 北条義時就任
1203年 比企氏の乱
1205年 時政失脚
・1210年

・1219年
   実朝

    ―
    義時

    義時

1213年 和田合戦
1219年 実朝暗殺

・1224年
・1226年

    ―
 藤原(九条)頼経就任

 北条泰時就任
    泰時
1221年 承久の乱
1224年 伊賀氏の変
1225年 宇津宮辻子幕府
・1230年

     頼経

    泰時

1232年 和賀江嶋築港
      御成敗式目制定
1236年 若宮大路幕府
・1242年
・1244年
・1246年
     頼経
 藤原(九条)頼嗣就任
     頼嗣
 北条経時就任
    経時
 北条時頼就任
1243年 木製の鎌倉大仏建立

1246年 宮騒動
1247年 宝治合戦
・1252年
 
 宗尊親王就任    時頼1251年 了行らの謀叛

※これからいよいよ北条時頼以降の得宗専制政治の時代に入っていきます。

 
posted by トシ999 at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月19日

鎌倉検定−天変地異起こる(1252年4月1日)を読む(14)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「宗尊親王の将軍就任」です。
(33)建長4年(1252)4月1日
 宗尊親王が鎌倉に到着する。宗尊は、後嵯峨上皇の皇子で、執権北条時頼の申請により鎌倉に下向する。
 固瀬宿(藤沢市片瀬付近)で幕府関係者に迎えられ、稲村ヶ崎から由比ヶ浜の鳥居の西、下下馬橋、小町口を経て、時頼邸に入る。
 5日に、宗尊を征夷大将軍に任ずる宣旨の案文(写し)が、六波羅探題から鎌倉に届けられる。
 14日に、宗尊は、鶴岡八幡宮に初参詣する。

宗尊親王(1242〜1274年)
 後嵯峨上皇の第一皇子。母は平棟子。
 生母の身分が低いため、皇位継承の可能性がありませんでした。
 幕府の申請により、鎌倉に下向して、親王将軍が実現しました。

稲村ヶ崎
 鎌倉の海岸線を由比ヶ浜と七里ヶ浜に分ける岬の地形が、まるで稲束を積み上げたように見えることから、地名の由来になったといわれています。
東側(由比ヶ浜・坂ノ下)から見る景色
 稲村ヶ崎 坂ノ下から.JPG

西側(七里ヶ浜)から見る景色
 稲村ヶ崎 七里ヶ浜から.JPG

鶴岡八幡宮大鳥居(一の鳥居)(海側から)
 鶴岡八幡宮から海に向かって直進する若宮大路の下馬と海岸の間に建つ石造明神鳥居。
 「浜の大鳥居」とも呼ばれていたそうです。
 1180年に建てられたといい(位置は不明)、現在のものは江戸幕府4代将軍の徳川家綱の寄進によって1668年に造られたものです。高さは約8.5メートル。
 一の鳥居.JPG

5月の鶴岡八幡宮本殿
 5月の鶴岡八幡宮.JPG

 
posted by トシ999 at 13:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする