2018年05月27日

鎌倉ゆかりの人物―赤橋(北条)守時のあれこれ

「鎌倉検定公式テキストブック(新版改訂)」から、鎌倉ゆかりの人物を見てみました。

今回は「赤橋(北条)守時」です。

赤橋(北条)守時(1295〜1333年)
 ・北条氏最後の16代執権。第6代執権・北条長時の曽孫にあたります。
  父は、赤橋流の北条久時。妹は、足利尊氏の正室です。

赤橋(北条)守時の系図
北条執権全図.jpg

朱塗りの板橋であったので「赤橋」と呼ばれていた「鶴岡八幡宮の太鼓橋」
 ・赤橋流北条氏は、屋敷をこの付近に構えたことから「赤橋」を名乗りました。
 段葛から赤橋.JPG

 境内から赤橋.JPG

付近のやぐらの被葬者に対する供養塔といわれる「泣塔」
 ・1333年の鎌倉攻め際、新田軍と赤橋守時率いる北条勢との間で激戦が繰り広げられた
  「洲崎古戦場」の石碑の近くで、深沢多目的スポーツ広場(旧国鉄工場跡地)に建つ
  宝筺印塔。
 ・赤橋守時は、新田軍を迎え撃つ先鋒隊として出撃し、洲崎で自刃しました。
 泣塔1.JPG

 泣塔2.JPG

 ・昔、一時、手広の青蓮寺に移されたが、毎晩、元の場所を恋しがるようにすすり泣く
  声がするため戻され、その後、泣き声は止まったといいます。

 ・塔の銘には、「文和五年(1356年)」とあります。保存状態がよく、年代が明らかで
  形が美しいことから、1933年(昭和8)に、国の重要美術品に指定されました。
  また、1971年(昭和46)には、市指定有形文化財に指定されました。

湘南モノレールの湘南深沢駅近くにある「洲崎古戦場の石碑」
洲崎古戦場石碑.JPGこの辺りは、昔は州崎卿の地域に属しました。
元弘三年(1333)5月、新田義貞の鎌倉攻めの折、武将の堀口三郎貞満と大島讃岐守守之が州崎口より攻め込んできました。
鎌倉方は、赤崎相模守守時を大将として迎え撃ちましたが、激戦は60回以上に及び、遂に敗れ、守時はじめ90人以上が自刃したといいます。
この辺りが、その古戦場の跡です。

<「泣塔」と「洲崎古戦場の石碑」の場所>
洲崎古戦場石碑 泣塔地図.jpg

浄光明寺敷地絵図に登場する「赤橋守時」の屋敷区画
 ・この絵図は、鎌倉幕府滅亡の後に寺の関係者が寺領を保護してもらうため、足利直義
  の執事上杉重能に差し出し、その許可を得たもの。
  (鎌倉時代の「鎌倉」地区を示す唯一の絵図(国重文))

 ・絵図の真ん中右側には、「北条(赤橋)守時」の屋敷区画があります。
  すぐ東側には「御中跡」とあり、北条高時の屋敷でした。

 ※「浄光明寺敷地絵図」は「ココ」を参照。

 
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2018年05月22日

鎌倉ゆかりの人物―青砥藤綱のあれこれ

「鎌倉検定公式テキストブック(新版改訂)」から、鎌倉ゆかりの人物を見てみました。

今回は「青砥藤綱(あおと ふじつな)」です。
青砥藤綱の銭拾い伝説
 5代執権北条時頼に仕えて活躍したという青砥藤綱が、ある夜幕府に出向く途中、東勝寺橋の上で、袋に入れておいた十文の銭を滑川に落としてしまった。藤綱は家来に五十文で松明を買ってこさせ、沢床を照らして探しだした。
 この話を聞いた同僚が「藤綱は勘定知らずだ。十文探すのに五十文を使って損をしている」と笑った。すると「常人の勘定はそうだろう。しかし銭が川に沈んだままでは、永久に使われることはない。五十文で松明を買えば、それを造っている町民や、商っている商家も利益を得られる」と、笑った人々を諭したというのである。

青砥藤綱(生没年不詳)
 ・北条時頼、時宗に仕えた鎌倉時代中期の武士。
  (『太平記』では藤綱を北条時宗及び北条貞時の時代の人としています。)
  『太平記』などに多くの逸話が残るが、実在を証明する史料がありません。
 
 ・江戸時代には、歌舞伎や浄瑠璃において庶民の理想とする為政者として描かれまし
  た。
  二世河竹黙阿弥が著した歌舞伎『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうしはなのにしきえ)
  ・・・日本屈指の盗賊「白浪五人男」の活躍を描き、日本駄右衛門は青砥藤綱の手で
     縄にかかります。

東勝寺橋(小町)
 ・東勝寺跡の前にある滑川に架かる1924年(大正13)に建造されたアーチ橋です。
  「鎌倉市景観重要建築物等」の一つです。
 東勝寺橋.JPG

 東勝寺橋遠景.JPG

東勝寺橋のたもとにある「青砥藤綱旧蹟」の石碑
青砥藤綱旧蹟.JPG太平記によれば、藤綱は北条時宗、貞時の二代仕えて引付衆の役に連なった人物であるといわれています。
ある夜の出仕の際、誤って銭十文を滑川に落したので、五十文の松明を買って水の中を照らしてお金を探し、ついにそのお金を探し出しました。時に人々は小利大損と嘲け笑いました。
しかし藤綱は、「十文は小さいが、これを無くすことは天下の財産を無くすことである。五十文は自分の損であってもが、人々の為になったのである。」と諭しました。
この物語は、この辺りであったことと伝えられています。

浄明寺にある「青砥藤綱邸旧蹟」の石碑
 ・金沢街道の横を流れる滑川に「青砥橋」が架かっています。
  明王院と浄妙寺の間にあるこの橋を渡ると、青砥藤綱の屋敷の跡を示す「青砥藤綱邸
  旧蹟
」が建てられています。
青砥藤綱邸跡.JPG

青砥藤綱邸旧蹟.JPG鎌倉の執権の立派な業績を語る時は、かねてより、まず北条時頼、北条時宗があげられます。
しかしその間にあって、両代に仕えた青砥左衛門尉藤綱の業績をあげなければなりません。
藤綱には逸話が多くあります。
ある夜のこと、滑川を渡るとき、誤って銭十文を川に落としてしまいました。そこで、五十文で松明を買って水を照らしてお金を探したとの話は、特に多くの人々が話題にしました。
この場所は、その藤綱の居住していた屋敷跡であると伝えられています。

「東勝寺橋」と「青砥藤綱邸旧蹟」の場所
青砥藤綱邸旧蹟地図.jpg

 
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2018年05月04日

鎌倉検定公式テキストブックが改訂されました! 2018.5

平成30年4月25日付けで、「鎌倉検定公式テキストブック」が改訂されました。
 記述内容が最新化されましたよ。

新しい表紙は、これです。
【新版改訂】鎌倉観光文化検定 公式テキストブック
鎌倉検定公式テキストブック新版改訂.jpg

・旧テキスト(平成23年10月10日発行)も第14回の試験(2020年)まで公式テキストとして使用可能です。

・第15回の試験(2021年)からは、新テキストのみが公式テキスト扱いになります。

目次構成
 ・「歴史・旧跡」「自然・景観」「寺院・神社」「芸術・文化」「産業・生活」
  「行事」「資料」で、変わりありません。

改訂概要
1.口絵扉写真・全面的に新しくなりました。 
2.序の章・全面的に改訂され、図やイラストを交えて理解しやすい導入部分となりました。 
3.「歴史・旧跡」の章・新たな研究資料から分かってきた事実や説をふまえてページを増やして、全面的に改訂されました。 
4.「自然・景観」の章・自然環境、花の部分について、現在の状態にあわせて、全面的に改訂されました。
・自然環境については、不要な解説文を大幅に削除し特筆すべき事項に絞られています。
・花については、現状に添った内容になりました。
・また、新たに「地勢」の項目内に「地質」の項目を設け、地質学的な鎌倉の特徴を解説しています。 
5.「芸術・文化」の章・禅文化は、鎌倉の禅文化の特徴に絞り込んで改訂されています。
・映画の項目では、近年の映画やドラマ、マンガの舞台などが紹介されています。
・また、伝説の項目が増えました。 
6.その他・新たなコラムが大幅に増えて、おもしろくなりました。 

改訂の一例:「自然・景観」“花の名所”の項
 ・5月の項では、「バラ、ハマヒルガオ、サツキ、ユキノシタ」について、紹介されて
  います。
  従来あった、「シャガ、フジ、ツツジ」は、4月の項に移動されています。
  記述内容ももちろん現状に即したものになっています。


今後は、「新版改訂」のテキストの内容をもとに、話を進めていきます。

 
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