2016年11月26日

鎌倉手広のお寺を見る(飯盛山) :(このシリーズ最終回)

 写真を見ながら鎌倉を知ろう、というテーマで進めていきます。
 鎌倉検定が明日ですので、このシリーズは、今回で最終回とします!

 次の写真は、“鎌倉のどこか?”、考えながらいきましょう。(正解は、最下段)
山門
青蓮寺山門.JPG真言宗。819年創建。
開山は空海(弘法大師)
空海が裏山で護摩の秘法を修行していた時に、美しい天女が現れて力を貸してくれた。無事に修行を終えた時、天女は一粒の仏舎利を大師に託して池に姿を消した。その仏舎利を密教の法具に納めて翌朝目を覚ますと、池に青色の蓮華の花が咲きほこっていたといいます。

本堂
青蓮寺本堂.JPG本尊は「木造弘法大師坐像」で、その両足の関節が鎖のような細工のため自在に動かせるようになっています。
このため、このお寺は、別名「鎖大師」と呼ばれています。

また、厄除け大師としても知られています。

 ※この本尊は鎌倉時代の作で鎌倉に四体ある写実的な裸形彫刻の一つとされています。
 (鶴岡八幡宮の弁財天、延命寺の身代わり地蔵、江の島弁財天、鎖大師)
 鎌倉時代は仏像に写実性が強く求められた時代であったということです。

本堂横の池
 青蓮寺池.JPG

鐘楼
 青蓮寺鐘楼.JPG

<花木>
フランス菊(5月)
 青蓮寺フランス菊.JPG

ブラシノキ(6月)
 青蓮寺ブラシノキ.JPG

このお寺のキーワード
平安時代に建立されたという伝承をもつ寺社。
 他に、御霊神社(坂ノ下)、荏柄天神社などがあります。

泣塔(「洲崎古戦場の碑」の近くにある宝篋印塔)
 洲崎での戦いの戦没者の供養塔。
 その昔、この供養塔をこのお寺に移したところ、毎晩、すすり泣く声がするため戻され、その後、泣き声は止まったといいます。
 泣塔.JPG







※正解は、飯盛山青蓮寺
 
posted by トシ999 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺院・寺社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月23日

鎌倉大船のお寺を見る(粟船山)

 写真を見ながら鎌倉を知ろう、というテーマで進めていきます。

 次の写真は、“鎌倉のどこか?”、考えながらいきましょう。(正解は、最下段)
山門
常楽寺山門.JPG臨済宗。1237年創建。
開山は蘭渓道隆
北条泰時が妻の母の供養のため粟船御堂を建て、退耕行勇が供養の導師を務めたのが始まりとされています。
粟船」は「大船」の古名。大船は、昔、入り江であったころ、粟積み船が出入りしていたと伝えられ、「粟船」と書いて「おおふな」と読んだといわれています。

仏殿
常楽寺仏殿.JPG大船にあるこのお寺は、開山の蘭渓道隆が、建長寺の開山となる以前に、ここで禅を広めたため、「元建長寺」の異名があります。

仏殿には、「阿弥陀三尊像」が祀られています。

常楽寺阿弥陀三尊.JPG阿弥陀如来は、極楽浄土の教主で、極楽浄土で人々のために説法を行っているといいます。

両脇侍には、向かって左に「勢至菩薩」、向かって右に「観音菩薩」が配置されれいます。

常楽寺天井絵.JPG天井には、狩野雪信の「雲龍」が描かれています。

※「雲龍の伝説
この龍は毎夜水を飲みに出かけるのでお堂に騒音が絶えなかった。そこで出歩かないように両目を塗りつぶしたところ、音が止んだということです。
今もなお龍には瞳が描かれていないということです。

文殊堂
文殊堂.JPG木造文殊菩薩坐像」が祀られていますが、「文殊祭」以外には開帳されません。
※「文殊祭」:1月25日。

北条泰時の墓
北条泰時の墓の石碑.JPG仏殿裏には、3体のお墓があります。
そのうち、一番右側が「開基北条泰時の墓」であると石碑に刻まれています。

北条泰時の墓.JPG北条泰時(1183年〜1242年):鎌倉幕府3代執権。

「北条時政−義時−泰時−時氏−時頼−時宗−貞時−高時」の家系です。

※北条泰時のキーワード
宇津宮辻子、御成敗式目、
朝夷奈切通、和賀江嶋、評定衆


鎌倉三名鐘
 銅造梵鐘は、建長寺、円覚寺と並ぶ「鎌倉三名鐘」の一つで、市内最古のものです。
 ※現在、鎌倉国宝館にて収蔵。
 →「鎌倉国宝館の収蔵品」を参照ください。

<花木>
センリョウ(11月)
 参道では美しい意匠の石畳に映えるセンリョウが見られます。
 常楽寺センリョウ.JPG
 キミノセンリョウもあります。
 常楽寺キミノセンリョウ.JPG







※正解は、粟船山(ぞくせんざん)常楽寺

案内板
常楽寺案内板.JPG
 
posted by トシ999 at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺院・寺社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

鎌倉腰越のお寺を見る(龍護山)

 写真を見ながら鎌倉を知ろう、というテーマで進めていきます。

 次の写真は、“鎌倉のどこか?”、考えながらいきましょう。(正解は、最下段)
山門
満福寺山門.JPG真言宗。
744年、聖武天皇の勅命で行基が建立した寺と伝えられています。

満福寺と江ノ電.JPG山門側から見ると、江ノ電は間近です。

本堂
満福寺本堂.JPG本尊は薬師三尊です。

「義経と静」のふすま絵
ふすま絵.JPG本堂の中には、鎌倉彫の技法をとりいれた「義経と静」の別れの場を描いた三十二面のふすま絵があります。

腰越状
腰越状.JPG1185年、平氏を滅ぼし鎌倉へ凱旋した源義経は、兄頼朝に鎌倉入りを拒絶されました。
義経は腰越まで来てここにとどまり、頼朝の怒りを解こうとしたが許されず、大江広元に書状を出し力添えを頼みました。

これが「腰越状」で、弁慶筆と伝えられる下書きが保管されています。

義経公慰霊碑
義経公慰霊碑.JPG慰霊碑は「義経と弁慶の石像」の後ろにあります。

腰越状」は頼朝には受け入れられず、義経は奥州で不遇の死を遂げるが、その首が検分されたのもこの寺でした。

義経と弁慶の石像.JPG本堂前には、「義経と弁慶の石像」があります。

本堂前には、「弁慶の手玉石」や「弁慶の腰掛石」などもあります。
弁慶の手玉石.JPG 弁慶の腰掛石.JPG

義経公手洗の井戸
義経公手洗の井戸.JPG

行基閼伽水
行基閼伽水.JPG

鐘楼
満福寺鐘楼.JPG

行事
 源義経の遺徳をしのんで、「義経まつり」が、鎌倉まつりの期間中の、「4月の第三土曜日」に行われます。






※正解は、龍護山満福寺
 
posted by トシ999 at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺院・寺社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする