2019年07月29日

ふりかえり鎌倉―鎌倉で一番古い神社(鎌倉検定:寺院・神社編(13))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「鎌倉で一番古い神社について」です。
設問
@710 年(和銅3)、行基が草創し、豪族染屋時忠が建立した鎌倉で一番古い神社とされるのはどこか。
Aこの鎌倉最古の神社とされる神社の祭神はだれか。
Bこの神社が源氏との縁の深い神社となったきっかけは、ある人物がこの神社に祈願して子宝を授かったためであるが、ある人物とはだれか。

解答と解説
@甘縄神明神社
A天照大神
B源頼義


甘縄神明神社(長谷)
 ・710年創建。長谷の鎮守。祭神は天照大神
 ・行基が草創し、豪族染屋時忠(由比の長者)が建立した鎌倉で一番古い神社とされて
  います。

源氏との関わり
源頼義が当社に祈願して子宝(八幡太郎義家)を授かったことから、源氏との縁が深い神社として信仰されています。
源頼義義家は社殿を修復し、頼朝も社殿を修復し、荒垣や鳥居を建て、実朝北条政子も参詣したと伝えられています。

鳥居
 甘縄神明神社鳥居.JPG

鳥居の左側には、「川端康成邸」があります
 ・小説『山の音』は、長谷を舞台にして描かれています。
 川端康成邸.JPG

かつて甘縄には安達氏の館があり、「安達盛長邸址の石碑」が右に建っています
安達盛長邸址石碑.JPG盛長は藤九郎と称します。初め源頼朝が蛭ヶ小島にいた頃、力を合わせてその計画に協力しました。
石橋山の一戦で、源氏の運命が暗澹たる状況になったときも、盛長は頼朝と共に小船で安房に逃れ、そこで離散した兵を集めて挽回策を計画しました。
源氏の白旗が鎌倉に帰り、天下を風靡すると、その功績により重要な地位に就きました。
盛長の子の弥九郎盛景、孫の秋田城介義景が家を継ぎました。
頼朝以来、将軍がしばしば訪れました。
この地がその屋敷のあった場所です。

社殿への階段下には、「北条時宗産湯の井」があります
 北条時宗産湯の井.JPG
 ※北条時宗の祖母は安達景盛の娘の「松下禅尼」で、時宗夫人は安達泰盛の養女の
  「覚山尼」です。
  安達家は時宗夫人の実家で、時宗もこの地で1251年に生まれました。

さらに左奥には、万葉集に「鎌倉」が詠まれている歌の「万葉集の歌碑」があります
 ※「鎌倉のみ越の崎の岩崩の 君が悔ゆべき心は持たじ」
 万葉集歌碑.JPG

石段を登ると「社殿」があります
 甘縄神明神社本殿.JPG

江ノ電由比ヶ浜駅から右に行くと、「染屋太郎大夫時忠邸址」の石碑があります
染屋時忠邸址石碑.JPG染屋太郎大夫時忠は、藤原鎌足の玄孫にあたり、南都東大寺の良弁僧正の父親です。

文武天皇の時代から聖武天皇の時代までの間、鎌倉に居住して関東八か国の総追捕使となって東国を鎮めました。

由比の長者と言い伝えられているが、その事跡についての詳細はわかりません。
この南方に長者久保の地名があるのは、時忠の邸宅阯であると言われています。

尚「甘縄神明宮」の別当甘縄院は、時忠が開基であると伝えられています。

 
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2019年07月28日

ふりかえり鎌倉―鎌倉最古の木造建築がある神社(鎌倉検定:寺院・神社編(12))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「鎌倉最古の木造建築がある神社について」です。
設問
@本殿が鎌倉最古の木造建築であり、国指定の重要文化財である神社はどこか。
Aこの神社の境内にある横山隆一ら漫画家154人の漫画で飾られた建造物を何というか。
Bこの神社を、鎌倉幕府の鬼門の守護神として崇敬したとされる人物はだれか。

解答と解説
@荏柄天神社
A絵筆塚
B源頼朝


荏柄天神社(二階堂)
・1104年創建。主祭神は菅原道真
 にわかにかき曇った天から天神画像が降ってきたのを人々は恐れ、その場所に社殿を造営し、画像を納めたと伝えられています。

・鎌倉でも古い神社の一つで、荏柄山天満宮とも称されました。京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに、日本三天神のひとつ。
 天神とは学問の神様として知られる菅原道真のこと。

源頼朝は、幕府の鬼門の守護神として荏柄天神社を崇敬したとされます。

荏柄天神社の案内板
 荏柄天神社案内板.JPG

社殿への階段と、「荏柄天神」の石碑
荏柄天神社.JPG

荏柄天神の石碑.JPG倭名鈔によると、当郡に荏草と記載された郷があります。今はありませんが、この付近の昔の名前のようです。草の字はカヤと読め、江ガラは江ガヤが訛っていうようになり、後に文字を今のように当てたものと思われます。
神社の前の松並木は古くから馬場と呼んでいました。
本殿には元、中央に菅原道真束帯の坐像、右に天拝山祈誓の立像、左に本地仏十一面観音像を安置しましたが、その勧請の年代は言い伝えがありません。
源頼朝が初めて大蔵の地に幕府を創設した時、この社を鬼門の鎮守とし、以降の歴代将軍もこの神社を尊奉してきました。
天文年間に北条氏康は社殿の前に関所を設け、通行税を取り、社殿修復の費用に当てました。
徳川氏の時代には、鶴岡八幡宮造営の節毎に余った木材を使用して、この社殿の修造を行うのを例としていたということです。

拝殿の後ろにある鎌倉最古の木造建築である「本殿」
 ・1624年の鶴岡八幡宮若宮の社殿造営に伴い、若宮の旧本殿を移築したものです。
 荏柄天神社本殿.JPG

 ※国指定重要文化財(国重文)→「文化遺産オンライン」を参照。

横山隆一ら漫画家154人の漫画で飾られた「絵筆塚」
 絵筆塚1.JPG

 絵筆塚2.JPG

 絵筆塚石碑.JPG

絵筆塚の漫画のいろいろ
 ・横山隆一、手塚治虫、小島功、藤子F不二雄、柳原良平
横山隆一.JPG 手塚治虫.JPG

小島功.JPG 藤子F不二雄.JPG

柳原良平.JPG

2月には、「寒紅梅」と「古代青軸」の梅が咲きます
 古代青軸 寒紅梅1.JPG

 
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2019年07月24日

ふりかえり鎌倉―鶴岡八幡宮(鎌倉検定:寺院・神社編(11))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「鶴岡八幡宮について」です。
設問
@鶴岡八幡宮の祭神は誰か。
A鶴岡八幡宮を現在の地に遷座したのは誰か。
B鶴岡八幡宮本殿の掲額の「八」の字は神聖な神の使いとされている動物の形を使って表されているが、この動物は何か。

解答と解説
@応神天皇、比売神、神功皇后
A源頼朝
Bハト


鶴岡八幡宮(雪ノ下)
・祭神は、応神天皇、比売神、神功皇后
・1063年、源頼義が、源氏の守り神として京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡に勧請したことに始まります(由比若宮=元八幡)。
・1081年に源義家が修復し、1180年に鎌倉入りした源頼朝が、現在の地に遷座して、鶴岡若宮と称しました。

・1191年に焼失したがすぐに若宮(下宮)を再建。この時、本宮(上宮)が創建され、現在のような上下両宮の姿となりました。
・1193年には、下拝殿(舞殿)が新造されました。

「応神天皇」と「神功皇后」の系図
 応神天皇.jpg
比売神
・アマテラスとスサノオとの誓いで誕生した宗像三女神、すなわち多岐津姫命(たぎつひめのみこと)・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)・多紀理姫命(たぎりひめのみこと)の三柱とされるが、主神の母、妻、娘などとされることより、応神天皇の皇后である仲姫命(なかつひめのみこと)とする説もある。 

 鶴岡八幡宮と舞殿.JPG

若宮(下宮)
 ・現在の若宮は、1624年、徳川幕府2代将軍「徳川秀忠」による鶴岡八幡宮大改修時の
  ものです。
 若宮.JPG

本宮(上宮)
 ・現在の本宮は、1828年、徳川幕府11代将軍「徳川家斉」によって再建造営された
  ものです。
 本宮.JPG

本殿の掲額の「八」の字は、ハト
 鶴岡八幡宮掲額.JPG

本殿の階段上から見る「舞殿」
 舞殿.JPG

 
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