
今回は、「鎌倉で一番古い神社について」です。
【設問】
@710 年(和銅3)、行基が草創し、豪族染屋時忠が建立した鎌倉で一番古い神社とされるのはどこか。 Aこの鎌倉最古の神社とされる神社の祭神はだれか。 Bこの神社が源氏との縁の深い神社となったきっかけは、ある人物がこの神社に祈願して子宝を授かったためであるが、ある人物とはだれか。 |
【解答と解説】
@甘縄神明神社
A天照大神
B源頼義
◎甘縄神明神社(長谷)
・710年創建。長谷の鎮守。祭神は天照大神。
・行基が草創し、豪族染屋時忠(由比の長者)が建立した鎌倉で一番古い神社とされて
います。
<源氏との関わり>
・源頼義が当社に祈願して子宝(八幡太郎義家)を授かったことから、源氏との縁が深い神社として信仰されています。 ・源頼義や義家は社殿を修復し、頼朝も社殿を修復し、荒垣や鳥居を建て、実朝や北条政子も参詣したと伝えられています。 |
<鳥居>
<鳥居の左側には、「川端康成邸」があります>
・小説『山の音』は、長谷を舞台にして描かれています。
<かつて甘縄には安達氏の館があり、「安達盛長邸址の石碑」が右に建っています>
石橋山の一戦で、源氏の運命が暗澹たる状況になったときも、盛長は頼朝と共に小船で安房に逃れ、そこで離散した兵を集めて挽回策を計画しました。
源氏の白旗が鎌倉に帰り、天下を風靡すると、その功績により重要な地位に就きました。
盛長の子の弥九郎盛景、孫の秋田城介義景が家を継ぎました。
頼朝以来、将軍がしばしば訪れました。
この地がその屋敷のあった場所です。
<社殿への階段下には、「北条時宗産湯の井」があります>
※北条時宗の祖母は安達景盛の娘の「松下禅尼」で、時宗夫人は安達泰盛の養女の
「覚山尼」です。
安達家は時宗夫人の実家で、時宗もこの地で1251年に生まれました。
<さらに左奥には、万葉集に「鎌倉」が詠まれている歌の「万葉集の歌碑」があります>
※「鎌倉のみ越の崎の岩崩の 君が悔ゆべき心は持たじ」
<石段を登ると「社殿」があります>
<江ノ電由比ヶ浜駅から右に行くと、「染屋太郎大夫時忠邸址」の石碑があります>
文武天皇の時代から聖武天皇の時代までの間、鎌倉に居住して関東八か国の総追捕使となって東国を鎮めました。
由比の長者と言い伝えられているが、その事跡についての詳細はわかりません。
この南方に長者久保の地名があるのは、時忠の邸宅阯であると言われています。
尚「甘縄神明宮」の別当甘縄院は、時忠が開基であると伝えられています。