
今回は、「焼けた鍋をかぶせられた住職について」です。
【設問】
@室町時代、焼けた鍋をかぶせられても自説を曲げなかった第2代住職がいた寺はどこか。 Aこの寺の第2代住職とはだれか。 Bこの逸話から、第2代住職は、別名何と呼ばれたか。 |
【解答と解説】
@(叡昌山)妙隆寺
A日親上人
B鍋かむり日親
◎叡昌山妙隆寺(小町)
・日蓮宗。1385年創建。開山は日英。本尊は日蓮。 ・有力御家人の千葉常胤の子孫胤貞の別邸跡に創建されたため、千葉屋敷とも呼ばれています。 ・1385年、胤貞が、下総の中山法華経寺の日英を迎え、七堂伽藍を建立したと伝えられています。寺は鎌倉における中山門流の中心となりました。 ・第二世日親は、室町幕府の拷問に耐えたことで、「鍋かむり日親」と呼ばれました。 ・広島で被爆死した「新劇の團十郎」こと「丸山定夫の石碑」があります。 ・鎌倉・江の島七福神の「寿老人」を安置しています。 |
<妙隆寺案内板>
<9月の「山門」と「本堂」の様子>
<行法御池の後ろに安置された「鍋かむり日親上人石像」>
・室町幕府六代将軍足利義教の頃、日親上人は幕府の弾圧にも屈せず法華経の信仰を主張し、政治を批判しました。 ・幕府に捕えられた日親は、熱した鍋を頭にかぶせられても、なお南無妙法蓮華経と唱えることをやめませんでした。 ・その信念を称えて、後世の人々は「鍋かむり日親」と呼びました。 |
<新劇の團十郎こと「丸山定夫の石碑」>
<鎌倉・江の島七福神の「寿老人」と、境内に置かれた「石造寿老人」>