2019年07月19日

ふりかえり鎌倉―焼けた鍋をかぶせられた住職(鎌倉検定:寺院・神社編(10))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「焼けた鍋をかぶせられた住職について」です。
設問
@室町時代、焼けた鍋をかぶせられても自説を曲げなかった第2代住職がいた寺はどこか。
Aこの寺の第2代住職とはだれか。
Bこの逸話から、第2代住職は、別名何と呼ばれたか。

解答と解説
@(叡昌山)妙隆寺
A日親上人
B鍋かむり日親


叡昌山妙隆寺(小町)
・日蓮宗。1385年創建。開山は日英。本尊は日蓮。
・有力御家人の千葉常胤の子孫胤貞の別邸跡に創建されたため、千葉屋敷とも呼ばれています。
・1385年、胤貞が、下総の中山法華経寺の日英を迎え、七堂伽藍を建立したと伝えられています。寺は鎌倉における中山門流の中心となりました。

・第二世日親は、室町幕府の拷問に耐えたことで、「鍋かむり日親」と呼ばれました。

・広島で被爆死した「新劇の團十郎」こと「丸山定夫の石碑」があります。

・鎌倉・江の島七福神の「寿老人」を安置しています。 

妙隆寺案内板
 妙隆寺案内板.JPG

9月の「山門」と「本堂」の様子
 妙隆寺山門.JPG

 妙隆寺本堂.JPG

行法御池の後ろに安置された「鍋かむり日親上人石像」
 なべかむり日親石造.JPG

日親上人行法御池之霊跡.JPG

・室町幕府六代将軍足利義教の頃、日親上人は幕府の弾圧にも屈せず法華経の信仰を主張し、政治を批判しました。
・幕府に捕えられた日親は、熱した鍋を頭にかぶせられても、なお南無妙法蓮華経と唱えることをやめませんでした。
・その信念を称えて、後世の人々は「鍋かむり日親」と呼びました。

新劇の團十郎こと「丸山定夫の石碑」
 丸山定夫の石碑.JPG

 丸山定夫の碑文.JPG

鎌倉・江の島七福神の「寿老人」と、境内に置かれた「石造寿老人」
 寿老人の社.JPG

 寿老人.JPG

 石造寿老人.JPG

 
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2019年07月17日

ふりかえり鎌倉―鎌倉の国宝の仏像(鎌倉検定:寺院・神社編(9))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「鎌倉の国宝の仏像について」です。
設問
@彫刻としては鎌倉唯一の国宝であり、民衆の浄財で完成したといわれる仏像がある寺はどこか。
A鎌倉で唯一国宝に指定されているこの仏像の正式名称は何か。
Bこの寺の境内の奥には、この仏像を詠った歌碑があるが、だれの歌碑か。

解答と解説
@高徳院
A銅造阿弥陀如来坐像
B与謝野晶子


大異山高徳院清浄泉寺(長谷)
 ・浄土宗。開山、開基ともに不明。
高徳院の境内図
 高徳院境内図.JPG

高徳院の「仁王門」
 高徳院仁王門.JPG

鎌倉大仏:国宝「銅造阿弥陀如来坐像」の春と秋
 春の大仏.JPG

 秋の大仏.JPG

・北条泰時の時代に、僧浄光が諸国を勧進して浄財を集め、1238年に造り始め、1243年に大仏開眼が行われました。この時、建立した大仏は木造でした。
・その後、1247年、大風で倒壊したため、1252年に現在の青銅像が鋳造され、大仏殿に安置されました。

・『鎌倉大日記』:明応4年(1495)に津波で大仏殿が流されたという。
・『妙法寺記』:明応7年(1498)に津波で大仏殿が流されたという。
・しかし、万里集九が、文明18年(1486)10月に鎌倉を訪れた時に、すでに大仏は露座であったと『梅花無盡蔵』に記しています。

与謝野晶子(1878〜1942年)
 ・歌人。与謝野鉄幹(寛)の妻。雑誌「明星」で活躍。
 ・歌集『みだれ髪』が反響を呼び、明治浪漫主義に新時代を開きました。
 ・たびたび鎌倉を訪れ、多くの歌を詠みました。

高徳院境内奥に建つ「与謝野晶子の歌碑」(1952年建立)
 「かまくらや みほとけなれど釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」
 与謝野晶子歌碑.JPG

 与謝野晶子歌碑.JPG

 鎌倉大仏横顔.JPG

 
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2019年07月15日

ふりかえり鎌倉―代々の鎌倉公方の菩提寺の寺院(鎌倉検定:寺院・神社編(8))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「代々の鎌倉公方の菩提寺の寺院について」です。
設問
@山号は錦屛山といい、代々の鎌倉公方の菩提寺として関東十刹第一位の格式を誇った寺はどこか。
A本堂裏に発掘復元された国の名勝にも指定されている庭園を作庭したのはだれか。
B本堂に安置されている千手観音像や境内に植えられている冬桜にゆかりのある人物は誰か。

解答と解説
@(錦屛山)瑞泉寺
A夢窓疎石(国師)
B徳川光圀


錦屏山瑞泉寺(二階堂)
・1327年、創建。開山は夢窓疎石(国師)。
・足利基氏をはじめ、代々の鎌倉公方の菩提寺として塔頭も十を超え、関東十刹第一位の格式を誇りました。

夢窓疎石は、背後の山が錦の屏風のように迫る地形が禅院にふさわしいとして、この地を選びました。
・「建長寺庭園」、「円覚寺庭園」とともに、「国指定名勝」とされている庭園は、京都の天龍寺などの書院庭園の起源ともなりました。

瑞泉寺案内板
 瑞泉寺案内板.JPG

6月の「山門」の様子
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2月の「本堂」の様子と、安置されている徳川光圀寄進の「千手観音像」
 瑞泉寺本堂.JPG

 瑞泉寺千手観音像.JPG

「どこも苦地蔵」の伝説で有名な2月の「地蔵堂」の様子
 地蔵堂と紅梅.JPG

国指定名勝の庭園
 瑞泉寺庭園.JPG

市指定天然記念物の「冬桜」と「オウバイ」
 冬桜3.JPG

 オウバイ3.JPG

瑞泉寺境内案内図に記されている「徧界一覧亭」
・五山の僧は漢詩文をよくし、鎌倉時代後期や南北朝期を中心に数多くの作品を残し、それらは「五山文学」と称されます。
・瑞泉寺には、五山版という木版の書籍などが現存しています。
・裏山にある「徧界一覧亭」では、鎌倉五山の僧たちが漢詩や漢文を作ったといわれています。 

 徧界一覧亭案内図.JPG

 徧界一覧亭.JPG

 
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