2022年04月10日

鎌倉での夏目漱石の足跡(句碑、記念碑など)のこと

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鎌倉検定に向けて、鎌倉散策で気づいたワンポイントを紹介していきます。

今回は、「夏目漱石」が鎌倉に残した足跡を見てみました。

夏目漱石(1867年(慶応3)〜1916年(大正5))
・小説家。門下生には、芥川龍之介や久米正雄がいます。
・代表作品には、「吾輩は猫である」、「坊ちゃん」の他、三部作「三四郎」、「それから」、「門」など数多くの作品があります。
・1894年(明治27)、円覚寺塔頭「帰源院」に止宿し、老師・釈宗演のもとで参禅しました。
・結局、悟りを得られずに寺を辞するが、このときの体験は、1910年(明治43)に「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」に掲載された小説『門』や『夢十夜』に生かされました。その後、鎌倉に滞在し、『こころ』などの作品に鎌倉を登場させています。

帰源院境内の漱石の句、「佛性は 白き桔梗に こそあらめ」の石碑
 ・漱石は、仏としての本性を自身の中で模索していたが悟ることができず、凛として
  咲いている真っ白な桔梗にそれがあるのだと感じたようです。
  この句にちなんで、白いキキョウが植えられています。
 帰源院句碑1_R.JPG

 帰源院句碑2_R.JPG

東慶寺門前の「夏目漱石参禅百年記念碑」(1994年(平成6)建立)
 ・漱石は、1894年(明治27)に円覚寺帰源院で釈宗演に参禅しました。
 ・後の1912年(大正元)、東慶寺に釈宗演を再訪しました。
 ・碑の上段に釈宗演の書簡、下段に夏目漱石の文「初秋の一日」が刻まれています。
 東慶寺記念碑_R.JPG

建長寺梵鐘に関わる「夏目漱石の俳句」
 ・「鐘つけば 銀杏ちるなり 建長寺」(1895年(明治28)作)
 建長寺鐘楼_R.JPG

 夏目漱石俳句_R.JPG

円覚寺を詠んだ句が記された「鎌倉文学館の外灯碑」
 ・「冷やかな 鐘をつきけり 円覚寺」(1897年(明治30)作)
 鎌倉文学館夏目漱石_R.JPG

 
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2022年02月06日

鎌倉荏柄天神社に建てられた「かっぱ筆塚」と「絵筆塚」のこと

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鎌倉検定に向けて、鎌倉散策で気づいたワンポイントを紹介していきます。

荏柄天神社の境内には、漫画家清水崑の「かっぱ筆塚」と、清水崑の遺志を継いだ漫画家横山隆一らが建てた「絵筆塚」があります。

 ※清水崑(1912〜 1974年)
  ・漫画家。代表作品の「かっぱ天国」で、かっぱブームを起こしました。

荏柄天神社(二階堂)
 ・1104年創建。主祭神は、学問の神様として知られる菅原道真。
 ・にわかにかき曇った天から天神画像が降ってきたのを人々は恐れ、その場所に社殿を
  造営し、画像を納めたと伝えられています。
 ・京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに、日本三天神のひとつ。
 ・源頼朝は、幕府の鬼門の守護神として荏柄天神社を崇敬したとされます。

荏柄天神社の拝殿
 荏柄天神社_R.JPG

かっぱ筆塚の脇に立つ「かっぱ筆塚・絵筆塚」の説明板
 かっぱ筆塚絵筆塚説明板_R.JPG

「かっぱ筆塚」(1971年(昭和46)建立)
・鎌倉在住だった漫画家の清水崑が愛用していた絵筆が納められています。
・表には、大きな筆を担いで片膝をたて片方の足を投げ出している「かっぱの絵」が彫られています。
・裏には、川端康成揮毫の「かっぱ筆塚」の文字が彫られています。

 かっぱ筆塚_R.JPG

 かっぱ筆塚表_R.JPG

 かっぱ筆塚裏_R.JPG

「絵筆塚」(1989年(平成元)建立)
・青銅製で、「かっぱ筆塚」を建てた清水崑の遺志を継いだ漫画家の横山隆一らが建立してものです。
・鎌倉在住だった漫画家の横山隆一をはじめとして、漫画家154名が描いた「かっぱのレリーフ」が飾られています。
・10月第1又は第2日曜日に、二つの筆塚の前で、筆の焚き上げ供養を行う「絵筆塚祭」が行われます。似顔絵コーナーや漫画絵行灯の掲揚があります。

 絵筆塚_R.JPG

絵筆塚の「奉納銘板」
 絵筆塚石碑_R.JPG

「絵筆塚」に飾られている漫画のいろいろ
 ・横山隆一、手塚治虫、小島功、藤子F不二雄、柳原良平など
 横山隆一_R.JPG

 手塚治虫_R.JPG

 小島功_R.JPG

 藤子F不二雄_R.JPG

 柳原良平_R.JPG

 
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2022年01月30日

鎌倉建長寺の木造伽藍神像のこと

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鎌倉検定に向けて、鎌倉散策で気づいたワンポイントを紹介していきます。

建長寺の5体で一対の「木造伽藍神像」は、5体が揃ったものとしては国内最古のもので、2010年(平成22)6月に「国指定重要文化財」(国重文)に指定されました。

伽藍神像(がらんじんぞう)
・伽藍神は、寺院の土地・建物を守護する神で、蘭渓道隆来日の縁を作ったということです。
・作風は中国・南宋彫刻の影響を受けており、鎌倉地方の宋風彫刻を考察する上でも見逃せない例と評価されています。
・各像の個々の名称については、「張大帝(ちょうだいてい)、大権修利(だいごんしゅり)、掌簿判官(しょうぼはんがん)、観應使者(かんのうししゃ)、招寶七郎(しょうほうしちろう)」ですが、個々の像との特定は難しいとされています。

巨福山建長寺(山ノ内)
 ・臨済宗。1253年創建。開基は5代執権北条時頼。開山は蘭渓道隆。
 ・鎌倉五山第一位。本尊は地蔵菩薩像。
建長寺の仏殿に安置されている本尊「地蔵菩薩像」
 建長寺仏殿地蔵菩薩像_R.JPG

建長寺の仏殿で、本尊の横の奥に安置されている「伽藍神像」
 建長寺伽藍神像_R.jpg

※上記の5体のうち1体は、国重文に指定されたものとは、少し違うようです。
 ・国重文に指定されたときによく見られた5体の「伽藍神像」の写真
 国重文伽藍神像.jpg

 ・なお、2016年の東京国立博物館特別展で展示されたものは、次の5体でした。
  ⇒「伽藍神像 神奈川・建長寺」を参照。

 ・「張大帝」と見られている次の1体が、変更されています。保管の関係でしょうか。
  木造伽藍神像.jpg

 
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