2020年12月27日

鎌倉に伝わる伝説のまとめ(2/3)

鎌倉に伝えられている「伝説」について、鎌倉検定公式テキストブックには、17件の伝説が載っています。
これらを3回に分けて、まとめてみました。

第2回は、次の6件の伝説についてです。
F衣張山の伝説・源頼朝が、大倉の館から衣張山を展望したときの伝説。
・暑い夏のある日、頼朝はこの山を白絹で覆わせて雪山に見立て、屋敷から眺めながら夏の涼をとったので、山の名はこれに由来するという。
⇒「ふりかえり鎌倉―鎌倉の伝説(白絹で覆われた山)
G頰に焼印のある阿弥陀像・光触寺の本尊「頰焼阿弥陀」にまつわる伝説。
光触寺山門_R.JPG・阿弥陀如来を彫るように依頼した町の局は、家の物がなくなったときに、下働きの法師に疑いを持ち、法師の左の頰に焼印を押させたが跡が残らず、翌日阿弥陀像の頰に焼印がついていたという。
(右:光触寺山門)
⇒「鎌倉光触寺の頰焼阿弥陀の伝説のこと−(2019年鎌倉検定1級の問題から)
H青砥藤綱の銭拾い伝説・藤綱が、東勝寺橋で滑川に落とした銭を探し出させたときの伝説。
東勝寺橋_R.JPG・落とした10文を探すのに50文を使って損をしていると言われ、10文は永久に使われることはないが、50文で松明を買えば造っている町民や商っている商家も利益を得られると、人々を諭したという。
(右:東勝寺橋)
⇒「ふりかえり鎌倉―銭拾い伝説(鎌倉検定:芸術・文化編(13))
I美談を伝えるやぐら・源頼朝の命を狙った唐糸が、娘万寿の行動で許されたという伝説。
・母唐糸が捕えられ、やぐらに幽閉されたと聞いた万寿は、身分を隠して頼朝に奉公した中で、母の身代わりに牢に入ることを申し出て、母娘ともに許しを得たという。(唐糸やぐら(非公開))
⇒「やぐらのこと―鎌倉検定2014年1級の問題から見た鎌倉(5)
J日蓮を導いた白猿・日蓮が、焼き討ちされた草庵を白猿の導きで逃げ延びたという伝説。
南面窟_R.JPG・日蓮が焼き討ちにあった時、「山王大権現」の化身である「白猿」が現われて、夜道を松葉ヶ谷の草庵から裏山の洞窟へと導いてくれたおかげで日蓮は九死に一生を得たという。
(右:安国論寺南面窟)
⇒「ふりかえり鎌倉―鎌倉の伝説(日蓮を裏山の洞窟へ導いた動物)
K戦場で矢を拾い集めた地蔵・足利直義の戦場での窮地を救ったという矢拾地蔵の伝説。
浄光明寺境内_R.JPG・直義が、戦いの場で矢を射つくして困っているときに、矢を拾い集めてくれて助けてくれた小僧がいて、館に戻って信仰しているお地蔵様を見ると、手に矢を持っていたという。(矢拾地蔵)
(右:浄光明寺客殿)
⇒「浄光明寺に関連した史跡のこと−(2017年鎌倉検定1級の問題から)


 
posted by トシ999 at 07:00| Comment(0) | 芸術・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月26日

鎌倉に伝わる伝説のまとめ(1/3)

鎌倉に伝えられている「伝説」について、鎌倉検定公式テキストブックには、17件の伝説が載っています。
これらを3回に分けて、まとめてみました。

第1回は、6件の伝説についてです。
@白鷺が導いた境内池・北条時宗が円覚寺を創建するときに、白鷺が導いたという伝説。
白鷺池_R.JPG・時宗が、元寇の死者を慰霊するために創建する新しい寺の適地が見つからないでいるときに、鶴岡八幡宮の神霊が白鷺に姿を変えて導き、舞い降りた北鎌倉の池が白鷺池だという。
(右:円覚寺白鷺池)
⇒「白鷺池のこと―鎌倉検定2014年1級の問題から見た鎌倉(41)
A諸国行脚を重ねた北条時頼・北条時頼の廻国伝説が、謡曲「鉢の木」。
・旅僧姿の時頼は、道に迷ったときに泊めてもらった際に、家主の秘蔵の鉢の木を薪代わりにしたもてなしと、後年の忠節ぶりに感激し、鉢の木にちなんで、梅田、松枝、桜井の各荘を領地として与えたという。
⇒「ふりかえり鎌倉―鎌倉の伝説(謡曲「鉢の木」の廻国伝説)
B建長寺三門(山門)再建を勧進した狸・三門再建に際し、狸が和尚に化けて勧進したという伝説。
建長寺三門_R.JPG・境内に住む狸が日ごろのお礼にと勧進しているさなか、籠かきに狸と見破られ、犬にかみ殺されたが、集めたお金は無事建長寺に送り届けられたという。
(右:建長寺三門)
⇒「ふりかえり鎌倉―鎌倉の伝説(寺院の三門再建を手伝った動物)
C夜毎に出歩く龍・常楽寺の仏殿天井絵「雲龍」が出歩くという伝説。
常楽寺雲龍図_R.JPG・狩野雪信が描いた雲龍が毎夜音を立てて出かけるため、出歩かないようにその両目を塗りつぶしたところ、音がしなくなったという。改めて眺めて見ると、目には瞳が描かれていない。
(右:常楽寺雲龍図)
⇒「2018年鎌倉検定2級の問題をpickupする(8)―お寺の美術品
D源実朝暗殺の舞台、隠れイチョウ・実朝がイチョウの陰に隠れていた公暁に暗殺されたという伝説。
鶴岡八幡宮イチョウ_R.JPG・実朝は右大臣拝賀の日、鶴岡八幡宮境内の大イチョウの陰に隠れていた兄頼家の子公暁に暗殺されたという。その時、剣持ち役の北条義時は、危機を察し、屋敷に戻っていたため難を逃れたという。
(右:鶴岡八幡宮イチョウ)
⇒「鎌倉検定−天変地異起こる(1219年1月27日)を読む(1)
Eどこも苦地蔵・瑞泉寺地蔵堂に祀られている地蔵菩薩に残されている伝説。
どこも苦地蔵_R.JPG・昔、扇ヶ谷にあった地蔵堂を守る堂守が、貧しさのあまり逃げ出そうとしたが、夢枕に現れた地蔵菩薩が「どこも、どこも」と告げたので、「苦しいのはどこも同じ」だと悟ったという。
(右:瑞泉寺どこも苦地蔵)
⇒「鎌倉二階堂のお寺を見る(錦屏山)


 
posted by トシ999 at 07:00| Comment(0) | 芸術・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月21日

鎌倉の景観重要建築物等−猪熊邸(旧武基雄自邸)(極楽寺)

鎌倉検定公式テキストブックに記載されている「芸術・文化」章の中から、「鎌倉の景観重要建築物等」について、解説していきます。

今回は、最後33件目の「猪熊邸(旧武基雄自邸)(極楽寺)」です。
 ※全体については、「鎌倉の景観重要建築物等のまとめ(改訂版) 2020.10」を参照。

猪熊邸(旧武基雄自邸)(極楽寺):指定第36号 令和2年10月9日
<鎌倉市広報資料より抜粋>
 猪熊邸(旧武基雄自邸)は、極楽寺に所在する建築家・武基雄の旧自邸です。一辺7.2メートルの正方形の平面上に方形(ほうぎょう)造り屋根を架けた主体部と、それに接続する長方形の平屋建て部からなる明確な構成は、武氏のモダニズムの理念をよく表わしています。
 鎌倉特有の高低差の大きい谷戸の地形を活かして躯体を半ば地下に埋め込んでいるため、細い路地の奥に武氏自ら「三角の箱」と呼んだ方形造りの屋根が浮かんで見える景観は、戦後モダニズム建築と緑豊かな古くからのまち並みが新旧の融合を見せています。

 ※武基雄(1910〜2005年):
  戦後モダニズムの建築家で、早稲田大学名誉教授。武建築設計研究所を主宰。
  鎌倉商工会議所の設計者。

猪熊邸(旧武基雄自邸)の外観
 ・1975年(昭和50)建築。非公開。
 猪熊邸(旧武基雄自邸).jpg



※「景観重要建築物等」とは
・鎌倉市は、鎌倉の保養別荘地時代の風情をしのばせる洋風や和洋折衷の建築物、和風商家などを、「景観重要建築物等」と指定し、保存活用を支援・保護する制度を設け、古都鎌倉の独特の町並みを保存しています。
 (現在、全33件)


posted by トシ999 at 07:00| Comment(0) | 芸術・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする