
今回は、「鎌倉の名産品の一つ鎌倉ハムについて」です。
【設問】
@日本におけるハム製造のルーツは、明治時代にイギリス人が鎌倉郡川上村(現在の横浜市戸塚区)で、外国人向けに製造したことにあるが、その人物はだれか。 A「大船軒」の経営者で、黒田清隆の勧めでこのイギリス人からハムを仕入れ、大船駅で駅弁として販売し、のちにハムの製造を始めた人物はだれか。 Bこの「大船軒」の経営者が、1899年(明治32)に大船駅で駅弁として販売したものは何か。 |
【解答と解説】
@ウィリアム・カーティス
A富岡周蔵
Bサンドイッチ
◎ウィリアム・カーティス
・日本におけるハム製造のルーツは、明治時代にイギリス人の「ウィリアム・カーティス」が、鎌倉郡川上村(現在の横浜市戸塚区)で外国人向けに製造したことにあります。 ・ウィリアム・カーティスはその製法を秘密にしたが、地震で工場から出火した際、村人が消火活動をしてくれたことに恩義を感じ、初めて日本人に製法を伝授したということです。 ・ウィリアム・カーティスからハムの製法を学んだ一人に、現在も駅弁を作っている大船軒の経営者だった「富岡周蔵」がいました。 |
◎富岡周蔵(1862〜1939年)
・大船駅の開業(1888年(明治21年))のころ、大船駅構内での弁当販売を思い立ち、1898年(明治31年)に営業を開始しました。 ・大船軒の経営者だった「富岡周蔵」は、欧米を視察し、1888年(明治21)に首相となった黒田清隆からサンドウイッチの話を耳にし、カーティスからハムを仕入れ、1899年(明治32)に、大船駅でサンドウイッチを販売しました。 日本で最初にサンドイッチを駅弁として発売したのは、大船軒でした。 ・サンドイッチに使用するハムは当初輸入品であったが、自家製造を始めたところ好評だったため、1900年(明治33年)に「鎌倉ハム 富岡商会」を設立しました。 |
※富岡周蔵の写真は、「大船軒HP:富岡周蔵」を参照。
※大船軒のサンドイッチについては、「大船軒HP:大船軒サンドウイッチ」を参照。
※ハムの製法は日本中に広まりましたが、本格手作りハムの伝統を受け継ぐ企業である「鎌倉ハム」は、ハム発祥の地名を冠した商標となりました。