2019年09月17日

ふりかえり鎌倉―鎌倉の名産品の一つ鎌倉ハム(鎌倉検定:産業・生活編(9))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「鎌倉の名産品の一つ鎌倉ハムについて」です。
設問
@日本におけるハム製造のルーツは、明治時代にイギリス人が鎌倉郡川上村(現在の横浜市戸塚区)で、外国人向けに製造したことにあるが、その人物はだれか。
A「大船軒」の経営者で、黒田清隆の勧めでこのイギリス人からハムを仕入れ、大船駅で駅弁として販売し、のちにハムの製造を始めた人物はだれか。
Bこの「大船軒」の経営者が、1899年(明治32)に大船駅で駅弁として販売したものは何か。

解答と解説
@ウィリアム・カーティス
A富岡周蔵
Bサンドイッチ


ウィリアム・カーティス
・日本におけるハム製造のルーツは、明治時代にイギリス人の「ウィリアム・カーティス」が、鎌倉郡川上村(現在の横浜市戸塚区)で外国人向けに製造したことにあります。
・ウィリアム・カーティスはその製法を秘密にしたが、地震で工場から出火した際、村人が消火活動をしてくれたことに恩義を感じ、初めて日本人に製法を伝授したということです。
・ウィリアム・カーティスからハムの製法を学んだ一人に、現在も駅弁を作っている大船軒の経営者だった「富岡周蔵」がいました。

富岡周蔵(1862〜1939年)
・大船駅の開業(1888年(明治21年))のころ、大船駅構内での弁当販売を思い立ち、1898年(明治31年)に営業を開始しました。

・大船軒の経営者だった「富岡周蔵」は、欧米を視察し、1888年(明治21)に首相となった黒田清隆からサンドウイッチの話を耳にし、カーティスからハムを仕入れ、1899年(明治32)に、大船駅でサンドウイッチを販売しました。
 日本で最初にサンドイッチを駅弁として発売したのは、大船軒でした。

・サンドイッチに使用するハムは当初輸入品であったが、自家製造を始めたところ好評だったため、1900年(明治33年)に「鎌倉ハム 富岡商会」を設立しました。

 ※富岡周蔵の写真は、「大船軒HP:富岡周蔵」を参照。

 ※大船軒のサンドイッチについては、「大船軒HP:大船軒サンドウイッチ」を参照。


※ハムの製法は日本中に広まりましたが、本格手作りハムの伝統を受け継ぐ企業である「鎌倉ハム」は、ハム発祥の地名を冠した商標となりました。

 
posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 産業・生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月13日

ふりかえり鎌倉―鎌倉の名産品の一つ鎌倉彫(鎌倉検定:産業・生活編(8))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「鎌倉の名産品の一つ鎌倉彫について」です。
設問
@鎌倉を代表する名産品の一つである鎌倉彫は、中国のある王朝の文化の影響を強く受けて成立したと考えられているが、その王朝は何か。
A鎌倉彫は、宋の工人、陳和卿の持ってきた彫漆工芸を、運慶の子が真似て仏具を作ったのが最初といわれるが、その人物は誰か。
B1979年(昭和54)には神奈川県内で初めて国の伝統的工芸品の指定を受けた鎌倉彫は、何の普及とともに「鎌倉物」として有名になったか。

解答と解説
@宋
A康運
B茶道


鎌倉彫について
・鎌倉に禅宗寺院が建立され、造仏のために奈良から来た仏師たちが、「宋文化」に影響された須弥壇や前机、香合などの什器類も作り、それが鎌倉仏師にも受け継がれていきました。

・運慶の子の「康運」が、宋の工人「陳和卿」の持ってきた彫漆工芸を真似て仏具を作ったのが最初と考えられています。

・鎌倉彫は、「茶道」の普及によって茶入、香合、香盆などの茶道具も「鎌倉物」として珍重され、江戸時代には、茶器、硯台など身近の調度品も作られるようになりました。

  ※鎌倉彫の原型とされているもの
   「建長寺の須弥壇」の図→「鎌倉国宝館HP:須弥壇」を参照。

   「円覚寺の開山堂の前机」の図→「博古堂HP:前机」を参照。

現在の鎌倉彫の仏師の流れ
・現在、鎌倉仏師の流れを受け継いでいるのは、「三橋家」と「後藤家」です。

・昭和に入り、鎌倉彫が今日のように広く普及する活動を担った一人に「後藤俊太郎」がいます。
 代々の鎌倉彫の伝統を引き継いで祖父運久の後を継ぎ、当主となり、「鎌倉彫会館」設立や鎌倉彫の伝統的工芸品の指定に尽力しました。

・1979年(昭和54)、後藤俊太郎によって、明治の鎌倉彫先駆者を顕彰する「鎌倉彫再興碑」が扇ガ谷に建てられています。

鎌倉彫再興碑(扇ガ谷)
 鎌倉彫再興.JPG

 ※「鎌倉彫会館(小町)HP」も参照。

平成30年度鎌倉市指定文化財に指定された「鎌倉彫屈輪文三足卓」
 工芸 鎌倉彫屈輪文三足卓 一基 鎌倉彫協同組合蔵.jpg

満福寺にある鎌倉彫の技法をとりいれた三十二面のふすま絵(義経と静の別れ)
 ふすま絵.JPG

鎌倉彫の彫師・佐藤宗岳の店舗併用住宅の「寸松堂(由比ヶ浜)」
 寸松堂2.JPG

鎌倉彫の工房兼住宅として建てられた「白日堂」(長谷)
 白日堂.JPG

 
posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 産業・生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月11日

ふりかえり鎌倉―江ノ電(鎌倉検定:産業・生活編(7))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「江ノ電について」です。
設問
@1902年(明治35)、江ノ島電気鉄道が開業したとき、開通したのは藤沢からどこまでか。
A現在、江ノ島電鉄の駅は鎌倉市内にいくつあるか。
B藤沢駅が始発である江ノ電において、鎌倉駅の一駅前の駅はどこか。

解答と解説
@片瀬
A9駅
B和田塚駅


江ノ島電鉄(通称“江ノ電”)
・鎌倉の町の中を縫うようにして走る江ノ島電鉄、通称「江ノ電」は、「鎌倉〜藤沢」の間10.1キロを、約34分で走る単線です。

・鎌倉→和田塚→由比ヶ浜→長谷→極楽寺→稲村ヶ崎→七里ヶ浜→鎌倉高校前→腰越と鎌倉市内を走り、このあと、「江ノ島駅」を経由して「藤沢駅」まで行きます。

江ノ電開通の歴史
1902年
(明治35) 
・「江ノ島電気鉄道」として開業(藤沢〜片瀬までの約3.5km)。電気鉄道として「全国で6番目」の開通。
・現在では、他鉄道の廃止等で、日本で有数の古い歴史を持つ電気鉄道となりました。
1904年
(明治37)
極楽寺まで開通するが、長谷へ抜けるトンネル工事が難航。
 
1907年
(明治40)
大町まで開通。
 
1910年
(明治43)
・藤沢から終点の小町(現鎌倉駅前東口、生涯学習センター付近)まで全線開通
1949年
(昭和24)
・鎌倉駅が横須賀線鎌倉駅西口に移りました。
 

江ノ電路線図
 江ノ電路線図.JPG

江ノ電和田塚駅
 和田塚駅2.JPG

鎌倉市内各地を走る「江ノ電」
 江ノ電長谷付近.JPG

 江ノ電御霊神社アジサイ.JPG

 江ノ電御霊神社カワヅザクラ.JPG

 江ノ電極楽洞.JPG

 江ノ電腰越駅.JPG

 江ノ電腰越付近.JPG

 
posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 産業・生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする