2019年10月10日

ふりかえり鎌倉―二度行われる施餓鬼会(鎌倉検定:行事編(7))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「二度行われる施餓鬼会について」です。
設問
@7月15日、ある寺では施餓鬼会が行われた後、もう一度、施餓鬼会を行うのがしきたりになっている。これはだれの亡霊を弔うためか。
Aこの寺院は、どこか。

解答と解説
@梶原景時
A巨福山建長寺


巨福山建長寺(山ノ内)
 ・1253年創建。開基は北条時頼。開山は蘭渓道隆。臨済宗。
 ・本尊は地蔵菩薩像。鎌倉五山第一位。

建長寺「三門」と「説明版」
 建長寺三門_R.JPG

 建長寺三門説明版_R.jpg

三門梶原施餓鬼会:7月15日
・餓鬼道で苦しむ一切の衆生に食物を与えて供養する法会が施餓鬼会
・建長寺では、三門の下に一山の僧侶が集まり行う施餓鬼会に引き続いて、梶原景時の亡霊を弔うために、もう一度施餓鬼会を行うのがしきたりになっています。

梶原景時(?〜1200年)
・平氏方の武将でしたが、1180年、石橋山の戦いで源頼朝を助け、信任を得ました。
・景時は、源平の合戦で息子の「源太景季(かげすえ)」と共に活躍し、平家を滅ぼした後、朝廷の人気者になった源義経を頼朝に訴え出て追放する等、政治の裏で立ち回りました。
・頼朝の死後、結城朝光を讒言して弾劾にあい、失脚。三浦義村、和田義盛ら有力御家人たちに追われ、駿河で打たれました。

鎌倉深沢小学校の裏庭にある「梶原景時の墓」
 ・頼朝の死後、御家人の反感を買い、1200年、京都に落ち延びる途中、駿河国で一族
  もろとも滅ぼされました。
 梶原景時の墓.JPG

 
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2019年10月09日

ふりかえり鎌倉―鎌倉における夏祭りの先駆け(鎌倉検定:行事編(6))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「鎌倉における夏祭りの先駆けについて」です。
設問
@神社の例祭のうち、一年のうちで最も早い時期の6月3日に行われる神社はどこか。
A6月3日は、この神社の祭神の命日とされるが、その祭神はだれか。

解答と解説
@葛原岡神社
A日野俊基


葛原岡神社例祭(梶原)
後醍醐天皇に仕えた貴族の日野俊基を祀る、由比ヶ浜の鎮守でもある神社の例祭。
・鎌倉では、この祭を、夏祭りの先駆けと呼んでいます。
・一方、8月16日、圓應寺で行われる閻魔縁日で、夏祭りが終わるといわれています。

・神輿は第一日曜に出て、氏子が由比ヶ浜、佐助一帯をまわります。

葛原岡神社の「鳥居」と「社殿」
 ・1887年(明治20)創建。祭神は文章博士の日野俊基。
 ・明治天皇は、日野俊基に明治維新の先駆けとして深い思いを寄せ、俊基の最期の地に
  社殿を造営したということです。
 葛原岡神社鳥居.JPG

 葛原岡神社社殿.JPG

日野俊基(?〜1332年)
 ・1318年に即位した後醍醐天皇の親政に参加し、討幕計画に加わった公卿。
 ・日野家は代々天皇に仕える名家。資朝の父俊光は持明院統の重臣であったので、大覚
  寺統の後醍醐天皇に従った資朝に怒り、親子の縁を切ったといわれています。
社殿前にある「日野俊基終焉の地」の石塔
 日野俊基終焉の地石碑.JPG

葛原岡神社から少し離れたところにある「日野俊基の墓」
 日野俊基の墓.JPG

※処刑の直前に俊基は「秋をまたで 葛原岡に消ゆる身の 露のうらみや 世に残るらん」と詠んだという。


 
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2019年10月07日

ふりかえり鎌倉―武家一族の供養ための法要(鎌倉検定:行事編(5))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「武家一族の供養ための法要について」です。
設問
@毎年5月22日に、鎌倉時代のある一族を供養し弔うために法要が行われている寺院はどこか。
Aこの寺で行われる法要は、どの一族を供養し弔うためのものか。
Bこの供養のための行事のことを何というか。

解答と解説
@金龍山宝戒寺
A北条氏
B徳崇大権現会


金龍山宝戒寺(小町)
 ・天台宗。開山は円観慧鎮(えんかんえちん)慈威。
 ・1335年、後醍醐天皇北条一族の霊を弔うため足利尊氏に命じて北条氏の執権屋敷跡
  に建立させました。
宝戒寺の「拝観入口」と「案内板」
 宝戒寺入口1.JPG

 宝戒寺案内板.JPG

徳崇大権現会(宝戒寺):5月22日
 ・宝戒寺に於いて、「徳崇大権現会」の行事が行われ、北条一族を供養し弔います。
 ・北条高時の御神像を「徳崇大権現堂」から「本堂」に迎えて、徳崇大権現会・大般若
  転読会が行われます。

 ※宝戒寺の境内図は「ココ」を参照。

14代執権北条高時を祀っている「徳崇大権現堂」
 ・北条高時は、鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇から「徳崇大権現」という神号を下賜さ
  れ、宝戒寺本堂右前にある「徳崇大権現堂」に祀られています。
 徳崇大権現堂2.JPG

 徳崇大権現堂_R.jpg


※「北条高時」については、「鎌倉ゆかりの人物―北条高時のあれこれ」を参照。

 
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