
今回は、「二度行われる施餓鬼会について」です。
【設問】
@7月15日、ある寺では施餓鬼会が行われた後、もう一度、施餓鬼会を行うのがしきたりになっている。これはだれの亡霊を弔うためか。 Aこの寺院は、どこか。 |
【解答と解説】
@梶原景時
A巨福山建長寺
◎巨福山建長寺(山ノ内)
・1253年創建。開基は北条時頼。開山は蘭渓道隆。臨済宗。
・本尊は地蔵菩薩像。鎌倉五山第一位。
<建長寺「三門」と「説明版」>

<三門梶原施餓鬼会:7月15日>
・餓鬼道で苦しむ一切の衆生に食物を与えて供養する法会が施餓鬼会。 ・建長寺では、三門の下に一山の僧侶が集まり行う施餓鬼会に引き続いて、梶原景時の亡霊を弔うために、もう一度施餓鬼会を行うのがしきたりになっています。 |
◎梶原景時(?〜1200年)
・平氏方の武将でしたが、1180年、石橋山の戦いで源頼朝を助け、信任を得ました。 ・景時は、源平の合戦で息子の「源太景季(かげすえ)」と共に活躍し、平家を滅ぼした後、朝廷の人気者になった源義経を頼朝に訴え出て追放する等、政治の裏で立ち回りました。 ・頼朝の死後、結城朝光を讒言して弾劾にあい、失脚。三浦義村、和田義盛ら有力御家人たちに追われ、駿河で打たれました。 |
<鎌倉深沢小学校の裏庭にある「梶原景時の墓」>
・頼朝の死後、御家人の反感を買い、1200年、京都に落ち延びる途中、駿河国で一族
もろとも滅ぼされました。