
今回は、「春の観光行事について」です。
【設問】
@毎年4月第2日曜日から行われ、初日には鶴岡八幡宮の舞殿において「静の舞」が催される、鎌倉を代表する観光行事を何というか。 Aこの観光行事で、「静の舞」が行われる場所は鶴岡八幡宮のどこか。 B春には提灯が点され、夜桜も楽しめる若宮大路の二の鳥居から三の鳥居までの約500メートルの参詣路を特に何というか。 |
【解答と解説】
@鎌倉まつり
A下拝殿(舞殿)
B段葛
◎鎌倉まつり
・4月の第2日曜日から第3日曜日まで。 ・鎌倉市観光協会主催で、1959年(昭和34)から続いている鎌倉を代表する観光行事。 ・初日には、若宮大路で市内各所の神輿などが参加する行列巡行と、鶴岡八幡宮「舞殿」で「静の舞」が行われ、最終日には武田流司家により勇壮な流鏑馬が行われます。 |
◎静の舞(於:舞殿)
・源頼朝は、平家討伐を成し遂げた弟義経と不仲になり、義経追討の兵を挙げます。義経は静とともに吉野山に逃れますが、ここで義経は静と別れて逃亡を続けます。やがて静は捕らえられ、鎌倉へ送られて来ます。 ・頼朝は静に鶴岡八幡宮「若宮回廊」で舞を舞うように命じ、1186年、静は義経をしのんで詠い舞を舞います。 「よしの山 みねの白雪ふみ分けて いりにし人の あとぞこいしき」 「しづやしづ しづのをだまきくりかえし 昔を今に なすよしもがな」 ・しかし、頼朝は、幕府を称えることなく義経を慕う歌を詠い舞うのに怒ります。それを見た北条政子は、かつて自分も頼朝を思い慕った気持ちを教え諭して、頼朝の怒りをなだめます。その結果、頼朝は静に褒美を与え許します。 ・工藤祐経は、京で身につけた文化的教養にて重用され、鼓を打ちました。 ・畠山重忠は、音楽的にもすぐれた才能を示し、銅拍子を担当しました。 |
◎段葛(若宮大路)
・若宮大路の中央に造られた参詣道。段葛と呼ばれるようになったのは、江戸時代以降のことです。 ・『吾妻鏡』などによれば、1182年、妻政子の安産を祈願して、源頼朝が北条時政ら武将に命じ、若宮大路とともに造営したと推定されています。 ・当初の様子は定かではないが、のちになって「かつら石」を置いて若宮大路の通りよりも高いところに造ったことから、置路、置石、作道と呼ばれ、今でも置石の地名が残ります。 ・江戸時代末には現在の下馬四ツ角までとなり、さらに明治期になって横須賀線の開通で姿を変え、現在は二の鳥居から鶴岡八幡宮前の三の鳥居までの約500mほどです。 |



<二の鳥居の端にある「段葛の石碑」>
寿永元年(1182年)3月に、頼朝は、妻の政子の安産を祈願して、鶴岡八幡宮の社頭より由比ヶ浜の大鳥居の辺まで、この参道を築いたものです。
その土石は、北条時政をはじめ、源氏家の諸将が運搬にあたりました。
明治はじめに、二の鳥居から南の方の道が無くなりました。