2023年03月23日

2022年鎌倉検定3級の問題から見る鎌倉(51)−葛原岡神社の祭神

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2022年11月に3年ぶりに行われた鎌倉検定の3級の問題から、鎌倉を振り返ってみましょう。

今回は、「葛原岡神社の祭神」についてです。
[3]鎌倉の寺院・神社に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。
 (51) 後醍醐天皇に仕え倒幕を企て葛原ヶ岡で処刑された公家で,明治時代に建立された葛原岡神社の祭神として祀られた人物はだれか。
   1 日野資朝   2 日野俊基   3 源具行   4 児島高徳

 ・後醍醐天皇の親政に参加し、討幕計画に加わった公家の日野資朝と日野俊基。
 ・日野俊基は、1324年の正中の変では許されたが、1331年の元弘の変では捕えられました。
 ・1332年、日野俊基は、葛原ヶ岡で斬首されました。

正解は、「2 日野俊基」です。

 ※日野俊基は、「ふりかえり鎌倉―祭神が日野俊基である神社(鎌倉検定:寺院・神社編(7))」を参照。

日野俊基(?〜1332年)
 ・1318年に即位した後醍醐天皇の親政に参加し、討幕計画に加わった公卿。
 ・日野家は代々天皇に仕える名家。資朝の父俊光は持明院統の重臣であったので、大覚
  寺統の後醍醐天皇に従った資朝に怒り、親子の縁を切ったといわれています。
 ・日野俊基は文章博士。朝廷の権威の回復を図ろうとしたがかなわなかった。

葛原岡神社の社殿前にある「日野俊基終焉の地」の石塔
 ※処刑の直前に俊基は「秋をまたで 葛原岡に消ゆる身の 露のうらみや 世に残るらん」と詠んだという。
 日野俊基石碑_R.JPG

葛原岡神社から少し離れたところにある「日野俊基の墓」
 日野俊基の墓_R.JPG

葛原岡神社(梶原)
 ・由比ヶ浜の鎮守。1887年(明治20)創建。祭神は文章博士の日野俊基。
 ・後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基を祀っています。
 ・明治天皇は、日野俊基に明治維新の先駆けとして深い思いを寄せ、俊基の最期の地に
  社殿を造営したということです。
葛原岡神社の社殿
 葛原岡神社_R.JPG

 
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2023年03月22日

2022年鎌倉検定3級の問題から見る鎌倉(50)−源頼朝が「かくれ里」で見つけた祠の神社

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2022年11月に3年ぶりに行われた鎌倉検定の3級の問題から、鎌倉を振り返ってみましょう。

今回は、「源頼朝が「かくれ里」で見つけた祠の神社」についてです。
[3]鎌倉の寺院・神社に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。
 (50) 源頼朝が畠山重忠に命じて「かくれ里」で見つけた祠に社を建てさせたと伝えられる神社はどこか。
   1 佐助稲荷神社   2 銭洗弁財天宇賀福神社
   3 十二所神社    4 蛭子神社

 ・「頼朝の夢枕に立つ神霊の伝説」が伝えられているのは、佐助稲荷神社です。

正解は、「1 佐助稲荷神社」です。

 ※佐助稲荷神社は、「源頼朝に挙兵をすすめた「かくれ里の稲荷」」を参照。

佐助稲荷神社(佐助)
・伊豆蛭ヶ小島に流されていた源頼朝が病に倒れたとき、「かくれ里の稲荷」という神霊が夢枕に立ち、挙兵を勧めた。頼朝はこの託宣に従い兵を挙げて、戦いに勝利した。
・のちにこの「かくれ里」の地で祠を見つけた頼朝は、畠山重忠に命じて社を建立させた。
・もとは鶴岡八幡宮の飛び地境内社だったが1909年(明治42)に独立。
・鳥居の立ち並ぶ参道入口に、縁結び十一面観音が祀られている。

佐助稲荷神社の案内板
 佐助稲荷神社案内板_R.JPG

参道入口と、立ち並ぶ鳥居
 佐助稲荷入口1_R.JPG

 佐助稲荷入口2_R.JPG

 佐助稲荷鳥居_R.JPG

参道入口に祀られている「縁結び十一面観音」
 縁結び十一面観音_R.JPG

※頼朝の夢枕に立つ神霊の伝説
 ・伊豆に流されていた頼朝は、病床の枕元に現れた「かくれ里の稲荷」の神霊に挙兵を進められ、後に幕府を開くと、その神霊に感謝して佐助ヶ谷の祠を見つけ佐助稲荷を再興したという。

 
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2023年03月21日

2022年鎌倉検定3級の問題から見る鎌倉(49)−大町の八雲神社の始まり

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2022年11月に3年ぶりに行われた鎌倉検定の3級の問題から、鎌倉を振り返ってみましょう。

今回は、「大町の八雲神社の始まり」についてです。
[3]鎌倉の寺院・神社に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。
 (49) 大町の八雲神社は京都からどの神社の祭神を勧請したのが始まりとされるか。
   1 稲荷社   2 諏訪社   3 祇園社   4 金比羅社

 ・八雲神社(大町)は、新羅三郎義光が京都祇園社(八坂神社)の祭神を勧請したのが
  始まり。

正解は、「3 祇園社」です。

 ※八雲神社(大町)は、「2019年鎌倉検定3級の問題から見る鎌倉(5)−八雲神社(大町)と大名」を参照。

八雲神社(大町)
・大町の鎮守。古い厄よけ開運の社として、「八雲さん」「お天王さん」と親しまれる。
・永保年間(1081〜1084年)、新羅三郎義光(源義光)が、兄の八幡太郎義家の奥州攻め(後三年合戦)の助勢に向かう途中、鎌倉に入ると悪疫流行にて里民が難儀しているのを知り、これを救うため京都祇園社(八坂神社)の祭神を勧請したのが始まりといいます。

・明治維新で、鎌倉祇園社(祇園天王社)から八雲神社へ改称、1873年(明治6)、大町の鎮守として村社に列格されました。

八雲神社略記
 八雲神社略記_R.JPG

八雲神社入口と社殿
 八雲神社_R.JPG

 八雲神社鳥居_R.JPG

 八雲神社社殿_R.JPG

 
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