
今回は、「葛原岡神社の祭神」についてです。
[3]鎌倉の寺院・神社に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。 (51) 後醍醐天皇に仕え倒幕を企て葛原ヶ岡で処刑された公家で,明治時代に建立された葛原岡神社の祭神として祀られた人物はだれか。 1 日野資朝 2 日野俊基 3 源具行 4 児島高徳 |
・後醍醐天皇の親政に参加し、討幕計画に加わった公家の日野資朝と日野俊基。
・日野俊基は、1324年の正中の変では許されたが、1331年の元弘の変では捕えられました。
・1332年、日野俊基は、葛原ヶ岡で斬首されました。
正解は、「2 日野俊基」です。 |
※日野俊基は、「ふりかえり鎌倉―祭神が日野俊基である神社(鎌倉検定:寺院・神社編(7))」を参照。
◎日野俊基(?〜1332年)
・1318年に即位した後醍醐天皇の親政に参加し、討幕計画に加わった公卿。
・日野家は代々天皇に仕える名家。資朝の父俊光は持明院統の重臣であったので、大覚
寺統の後醍醐天皇に従った資朝に怒り、親子の縁を切ったといわれています。
・日野俊基は文章博士。朝廷の権威の回復を図ろうとしたがかなわなかった。
<葛原岡神社の社殿前にある「日野俊基終焉の地」の石塔>
※処刑の直前に俊基は「秋をまたで 葛原岡に消ゆる身の 露のうらみや 世に残るらん」と詠んだという。
<葛原岡神社から少し離れたところにある「日野俊基の墓」>
◎葛原岡神社(梶原)
・由比ヶ浜の鎮守。1887年(明治20)創建。祭神は文章博士の日野俊基。
・後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基を祀っています。
・明治天皇は、日野俊基に明治維新の先駆けとして深い思いを寄せ、俊基の最期の地に
社殿を造営したということです。
<葛原岡神社の社殿>