2017年04月24日

鎌倉極楽寺切通周辺の今は 2017.4

鎌倉七口」の一つ「極楽寺切通」の周辺の様子を見てみました。
 ※「鎌倉七口」については、「鎌倉の道、鎌倉七口についてのまとめ」を参照。

「極楽寺切通」の場所
極楽寺切通地図.jpg

霊鷲山極楽寺
 「極楽寺切通」の西側に位置するこのお寺は、真言律宗、開山は忍性、開基は北条重時
 1259年、重時が深沢の地にあった「極楽寺」を現在の地に再建しました。

山門前は、ツツジが咲き始めています
 極楽寺山門.JPG

境内では、「八重桜」と「八重一重咲分け桜(御車返し)」がまだ見られます
 極楽寺参堂.JPG

普明山成就院
 1219年、北条泰時が創建。1333年新田義貞の鎌倉攻めで焼失したが、江戸時代に再建されました。
成就院周辺の地図
成就院地図.JPG

山門から見た境内の様子
 成就院境内.JPG

西側階段の上には、「八重桜」が咲いています
 成就院八重桜.JPG

東側階段上からは由比ヶ浜が望めますが、今年はアジサイは咲きません
 成就院東階段.JPG

2019年に創建800年を迎えるにあたり始まった参道の修復工事は、終了です
 成就院記念碑.JPG

成就院東側の参道とその脇を通る「極楽寺切通」
 極楽寺坂.JPG

虚空蔵堂
 「弘法大師」が諸国巡礼の折、百日間にわたる虚空蔵菩薩を祀る修法を行ったところと伝えられています。
成就院とは「極楽寺切通」の道の反対側の階段の上にあります
 虚空蔵堂.JPG

鎌倉十三仏詣の十三番札所(成就院)の「虚空蔵菩薩」は、虚空蔵堂の中に祀られています
 虚空蔵堂本堂.JPG

星ノ井(星月ノ井)
「鎌倉十井」の一つで、「極楽寺切通」の登り口、虚空蔵堂の階段下にあります
 虚空蔵堂星月ノ井.JPG

 星月ノ井.JPG

 ※「鎌倉十井」については、「鎌倉十井のことをまとめてみます」を参照。

 
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2017年04月23日

鎌倉検定−天変地異起こる(1241年4月5日)を読む(8)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「朝夷奈切通の開通」です。
S仁治2年(1241)4月5日
 前年に延期されていた鎌倉と六浦津を結ぶ道路建設が再開される。
 幕府は工事を急いだが、峠坂を越える道はずいぶん難工事となった。完成を急ぐ北条泰時はみずから現場に出かけて監臨すると、人々が集まってきて土石をはこんだと伝えている。
 このときの工事で朝夷奈の切通が開削され六浦路が整備された。

朝夷奈切通
朝夷奈切通の場所
朝夷奈切通地図.jpg鎌倉と金沢(横浜市)を結ぶ切通で、六浦口とも呼ばれている。

鎌倉の東側の守備と考えられ、鎌倉七口のなかで当時の姿を最も今に伝えている。

 ※鎌倉への出入り口は「鎌倉七口」と呼ばれて七つあり、出入り口として整備された。
 →「鎌倉の道、鎌倉七口についてのまとめ」を参照。

鎌倉側の入り口
 朝夷奈切通入口.JPG

まず「三郎の滝」があります
 1240年、幕府は鎌倉と六浦の間に道を開くことを決めました。
 3代執権北条泰時が指揮を執り、率先して工事にあたったが、鎌倉幕府の侍所の初代別当(長官)となった和田義盛の三男で豪傑といわれた朝比奈三郎義秀が一夜にして切り開いたとの伝承が存在し、朝比奈峠の名の起こりとなっています。
 三郎の滝.JPG

紅葉シーズンの「朝夷奈切通」
 冬の朝夷奈切通1.JPG

 冬の朝夷奈切通2.JPG

 冬の朝夷奈切通3.JPG

 冬の朝夷奈切通4.JPG

 冬の朝夷奈切通5.JPG

 冬の朝夷奈切通6.JPG

 冬の朝夷奈切通7.JPG

北条泰時は、1240年に「巨福呂坂」の整備も行っています。

 
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2017年04月22日

鎌倉検定−天変地異起こる(1236年8月4日)を読む(7)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「若宮大路御所への移転」です。
O嘉禎2年(1236)8月4日
 第4代将軍藤原(九条)頼経が宇津宮辻子御所から北側の若宮大路の新造された御所に移る。これが第一期若宮大路御所である。
 この新御所は、宇津宮辻子御所の北西にあったが、この両御所は同一区画内にあり、宇津宮辻子を主にして呼んだのが宇津宮辻子御所であり、他方、若宮大路を主として呼んだのが若宮大路御所である。
 この御所の移転によって鎌倉の町の中心は鶴岡八幡宮・大倉御所・永福寺を結ぶ地域から、鶴岡八幡宮とそれから南に延びる若宮大路に移って行く。

若宮大路御所
 「若宮大路幕府」は、1236年〜1333年まで、97年間の将軍御所でありました。
 この間、将軍は、「藤原頼経→藤原頼嗣→宗尊親王→惟康親王→久明親王→守邦親王」と代わっていきました。
「若宮大路幕府」の場所
 「宇津宮辻子幕府」の北側に位置しました。
 若宮大路幕府跡地図.jpg

 ※「宇津宮辻子幕府」については、「鎌倉検定−天変地異起こる(1225年12月20日)を読む(4)」を参照。

「若宮大路幕府跡」の石碑
 執権北条泰時は、1236年12月に「若宮大路新御所」の北隣に自邸を新造して移りました。
 若宮大路幕府跡石碑1.JPG

 若宮大路幕府跡石碑2.JPG

段葛と若宮大路の遠景
 段葛と若宮大路遠景.JPG
 
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