2017年05月20日

鎌倉検定−鎌倉幕府執権政治のこれまでの流れ

 ここらで、これまで「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)で見てきた歴代の将軍と執権の交代の流れをまとめてみました。
 源実朝が第3代将軍に就任してから、執権政治も始まり、やがて得宗専制政治へと発展していきます。
将軍
執権
主な出来事
・1203年
・1205年
 
 源実朝就任
   実朝
 北条時政就任
 北条義時就任
1203年 比企氏の乱
1205年 時政失脚
・1210年

・1219年
   実朝

    ―
    義時

    義時

1213年 和田合戦
1219年 実朝暗殺

・1224年
・1226年

    ―
 藤原(九条)頼経就任

 北条泰時就任
    泰時
1221年 承久の乱
1224年 伊賀氏の変
1225年 宇津宮辻子幕府
・1230年

     頼経

    泰時

1232年 和賀江嶋築港
      御成敗式目制定
1236年 若宮大路幕府
・1242年
・1244年
・1246年
     頼経
 藤原(九条)頼嗣就任
     頼嗣
 北条経時就任
    経時
 北条時頼就任
1243年 木製の鎌倉大仏建立

1246年 宮騒動
1247年 宝治合戦
・1252年
 
 宗尊親王就任    時頼1251年 了行らの謀叛

※これからいよいよ北条時頼以降の得宗専制政治の時代に入っていきます。

 
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2017年05月19日

鎌倉検定−天変地異起こる(1252年4月1日)を読む(14)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「宗尊親王の将軍就任」です。
(33)建長4年(1252)4月1日
 宗尊親王が鎌倉に到着する。宗尊は、後嵯峨上皇の皇子で、執権北条時頼の申請により鎌倉に下向する。
 固瀬宿(藤沢市片瀬付近)で幕府関係者に迎えられ、稲村ヶ崎から由比ヶ浜の鳥居の西、下下馬橋、小町口を経て、時頼邸に入る。
 5日に、宗尊を征夷大将軍に任ずる宣旨の案文(写し)が、六波羅探題から鎌倉に届けられる。
 14日に、宗尊は、鶴岡八幡宮に初参詣する。

宗尊親王(1242〜1274年)
 後嵯峨上皇の第一皇子。母は平棟子。
 生母の身分が低いため、皇位継承の可能性がありませんでした。
 幕府の申請により、鎌倉に下向して、親王将軍が実現しました。

稲村ヶ崎
 鎌倉の海岸線を由比ヶ浜と七里ヶ浜に分ける岬の地形が、まるで稲束を積み上げたように見えることから、地名の由来になったといわれています。
東側(由比ヶ浜・坂ノ下)から見る景色
 稲村ヶ崎 坂ノ下から.JPG

西側(七里ヶ浜)から見る景色
 稲村ヶ崎 七里ヶ浜から.JPG

鶴岡八幡宮大鳥居(一の鳥居)(海側から)
 鶴岡八幡宮から海に向かって直進する若宮大路の下馬と海岸の間に建つ石造明神鳥居。
 「浜の大鳥居」とも呼ばれていたそうです。
 1180年に建てられたといい(位置は不明)、現在のものは江戸幕府4代将軍の徳川家綱の寄進によって1668年に造られたものです。高さは約8.5メートル。
 一の鳥居.JPG

5月の鶴岡八幡宮本殿
 5月の鶴岡八幡宮.JPG

 
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2017年05月18日

鎌倉検定−天変地異起こる(1249年12月9日)を読む(13)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「引付の設置」です。
(28)建長元年(1249)12月9日
 幕府が引付を設置する。
 執権北条時頼による訴訟制度の改革。裁判の迅速化をはかるため、御家人の所領に関する訴訟を担当する機関として引付を新設する。
 一番の頭人に北条政村、二番の頭人に北条朝直、三番の頭人に北条資時が就任する。
 12月13日には、二階堂行方らが引付衆に就任する。

北条政村(1205〜1273年)
 北条義時の子。
 母は伊賀朝光の娘。義時死去時には、伊賀氏を中心に北条政村を執権にする動きがありました。(伊賀氏の変
・1224年6月、北条泰時が執権に指名されたとき、これを不満として義時の後妻伊賀氏は、兄の伊賀光宗らとはかり、女婿一条実雅を将軍、実子北条政村を執権に立てようとしたが、失敗に終わりました。
 ・このとき、政村にはお咎め無しでした。

 長期にわたり、北条氏一門の長老として、得宗政権を支えました。
 北条氏常盤亭跡(常盤)は、政村の邸宅跡といわれています。
北条氏常盤亭跡の平場
 タチンダイ:北条氏常盤亭跡の平場.JPG

平場の奥には、やぐらがあります
 タチンダイのやぐら.JPG

<やぐらの右側に立っている説明版>
北条氏常盤亭跡説明版.JPG

北条朝直(ともなお)(1206〜1264年)
 北条時房の四男。時房の嫡男となった。
 妻は北条泰時の娘で、評定衆や引付頭人として得宗政権を支えました。

北条資時(すけとき)(1199〜1251年)
 北条時房の三男。22歳で出家。和歌の才がありました。

北条氏の系図
 執権の系図1.jpg

 
posted by トシ999 at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする