2023年01月30日

2022年鎌倉検定3級の問題から見る鎌倉(17)−鎌倉五名水の1 つ銭洗水

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2022年11月に3年ぶりに行われた鎌倉検定の3級の問題から、鎌倉を振り返ってみましょう。

今回は、「鎌倉五名水の1 つ銭洗水」についてです。
[1]鎌倉の歴史・旧跡に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。
 ⒄ 鎌倉五名水の1 つ,佐助の銭洗水で金銭を洗うと特に福利が増すといわれているのは何の日か。
  1 巳の日  2 寅の日  3 酉の日  4 辰の日

 ・銭洗水は、源頼朝や北条時頼にまつわる伝説が残る「銭洗弁財天宇賀福神社」にあります。
 ・隠れ里に湧く霊水として、巳の年の1185年の巳の日、宇賀福神が翁の姿で源頼朝の夢枕に立ち、そのお告げで発見したといいます。
 ・5代執権北条時頼は、巳の年の1257年に参拝し、ここの水で銭を洗って福銭とし、人々の健康と繁栄を祈ったといいます。

正解は、「1 巳の日」です。

 ※鎌倉五名水の1 つ銭洗水は、「源頼朝や北条時頼にまつわる神社のこと−(2018年鎌倉検定1級の問題から)」を参照。

鎌倉五名水の1 つ銭洗水
・1185年の巳の月の巳の日、「源頼朝」の夢枕に宇賀福神が立ち、「西北の仙境に湧きだしている霊水で神仏を祀れば、国内は平穏になる」と告げたとされます。頼朝は、夢のお告げどおりに泉を発見し、宇賀福神を祀ったといいます。
・13世紀の半ば、5代執権「北条時頼」は、金銭をこの水で洗い清めると同時に、己の心身を清め、行いを慎めば、不浄の塵埃が消えて清浄の福銭になる、と人々に勧め、自ら率先して金銭を洗い、一族の繁栄を祈りました。

「銭洗水」の場所
 銭洗水地図.JPG

銭洗弁財天宇賀福神社の「銭洗水」
 銭洗水_R.JPG

銭洗弁財天宇賀福神社(佐助)
 ・祭神は、本宮が市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、奥宮が弁財天。
 ・源頼朝が夢のお告げで発見し、北条時頼がこの水で金銭を清めること人々に勧め、この水でお金を洗うと何倍にもなって戻ってくるといわれる。
 ・特に「巳の日」は、ザルでお金を洗って商売繁盛などの福徳を願う参詣者が多く訪れる。
 銭洗弁財天宇賀福神社_R.JPG

 銭洗弁財天宇賀福神社由来_R.JPG

 
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2023年01月29日

2022年鎌倉検定3級の問題から見る鎌倉(16)−国指定史跡の武家屋敷跡

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2022年11月に3年ぶりに行われた鎌倉検定の3級の問題から、鎌倉を振り返ってみましょう。

今回は、「国指定史跡の武家屋敷跡」についてです。
[1]鎌倉の歴史・旧跡に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。
 ⒃ 次のうち,鎌倉時代を代表する武家屋敷跡として国指定史跡になっているものはどれか。
  1 北条高時邸跡  2 東勝寺跡  3 長者屋敷跡  4 北条氏常盤亭跡

 ・この武家屋敷跡がある大仏切通の北に位置する常盤一帯は、鎌倉防衛の要衝でした。
 ・この武家屋敷跡(常盤)は、北条政村の邸宅跡といわれています。

正解は、「4 北条氏常盤亭跡」です。

 ※北条氏常盤亭跡は、「鎌倉検定−天変地異起こる(1249年12月9日)を読む(13)」を参照。

北条氏常盤亭跡(常盤)
・国指定史跡31件のうちの一つで、鎌倉時代を代表する武家屋敷跡。
・大仏切通の北に位置する常盤一帯は、鎌倉防衛の要衝でした。そのため、七代執権北条政村をはじめ、北条氏一族が別邸を構えました。
・1977年(昭和52)に発掘され、建物跡などが見つかりました。

 北条氏常盤亭跡1.JPG

 北条氏常盤亭跡やぐら_R.JPG

 北条氏常盤亭跡説明板_R.JPG

 
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2023年01月28日

2022年鎌倉検定3級の問題から見る鎌倉(15)−鶴岡八幡宮寺の旧跡

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2022年11月に3年ぶりに行われた鎌倉検定の3級の問題から、鎌倉を振り返ってみましょう。

今回は、「鶴岡八幡宮寺の旧跡」についてです。
[1]鎌倉の歴史・旧跡に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。
 ⒂ 鶴岡八幡宮が明治初年まで鶴岡八幡宮寺であったことを示す旧跡は何か。
  1 法華堂跡  2 永福寺跡  3 二十五坊跡  4 太平寺跡

 ・1868年(明治元)、神仏分離令と廃仏毀釈で、鶴岡八幡宮寺は「鶴岡八幡宮」と
  なりました。
 ・鶴岡八幡宮の西北、小袋坂の曲がり角辺りの一帯は、江戸幕末まで鶴岡八幡宮の社役
  を務める供僧達の僧坊(供僧坊)がありました。

正解は、「3 二十五坊跡」です。

 ※鶴岡八幡宮寺の旧跡は、「ふりかえり鎌倉―日本で最初の「ナショナルトラスト運動」(鎌倉検定:自然・景観編(2))」を参照。

二十五坊跡(雪ノ下)
 <「二十五坊跡」と呼ばれる国の史跡が残る「御谷」の場所
 御谷地図.jpg

鶴岡八幡宮寺の御坊「二十五坊旧蹟の石碑」
二十五坊旧蹟石碑.JPGこの地は、源頼朝の時代以来、八幡宮の僧侶が住む二十五坊と別当坊があった所です。
あの別当公暁が実朝の首を手にして潜んだという後見人の備中阿闍利の住居もまたこの地にありました。
応永中(1394〜1428年)、院宣により坊の呼び名を院に変えました。
戦国時代に入ってからは、鎌倉管領の衰えと共に各院とも次第に廃絶し、天正の末(1592年)にはわずか7院だけになりました。
文禄中(1592〜1596年)に、徳川家康が5院を再興して12院になりましたが、 明治維新の後はついに全て無くなりました。

二十五坊跡の説明板
 二十五坊跡説明板_R.JPG

二十五坊跡(御谷)
 二十五坊跡_R.JPG

 
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