2017年12月06日

鎌倉大町にある妙本寺のイチョウ黄葉と紅葉の今は 2017.12

鎌倉でも紅葉が遅い方といわれる「妙本寺」の様子を見てみました。

長興山妙本寺
 ※このお寺については、「鎌倉大町のお寺を見る(長興山)」を参照。

境内図で、黄葉/紅葉の場所をマーク(その1)
妙本寺境内図1.JPG

「二天門」へ向かう参道には、落ち葉がいっぱい!!
 妙本寺参道の落ち葉.JPG

「二天門」の前の紅葉
 二天門前紅葉.JPG

「比企一族の供養塔」横の「市天然記念物のイチョウ」は、黄葉しています
 妙本寺イチョウ黄葉.JPG

「祖師堂」横の紅葉が一番きれいです
 祖師堂横紅葉1.JPG

 祖師堂横紅葉2.JPG

 祖師堂横紅葉3.JPG

境内図で、紅葉の場所をマーク(その2)
妙本寺境内図2.JPG

「鐘楼」周辺の紅葉も、きれいです
 鐘楼周辺紅葉.JPG

「寺務所」前にも、きれいに紅葉している木があります
 寺務所前紅葉.JPG

少し離れた「蛇苦止堂」にも、紅葉している木があります
 蛇苦止堂紅葉.JPG

 
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2017年12月05日

2017年鎌倉検定3級の問題をpickupする−歴史・旧跡編(2)

2017年の鎌倉検定は11月26日に行われました。
 今月は、今年の3級の問題をいくつか取り上げて見てみましょう。

 今回は、「歴史書について」です。
[1] 鎌倉の歴史・旧跡に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。
 ⑺ 鎌倉時代に書かれた,鎌倉についての記述がみられる紀行文はどれか。
  1 『古事記』  2 『天養記』  3 『海道記』  4 『奥州後三年記』
 

 ・『古事記』・・・奈良時代に編纂された「鎌倉」の地名が記された最も古い文献。
 ・『天養記』・・・源義朝が伊勢神宮領相模国大庭御厨に乱入したときの関係文書を
          まとめたもの。
 ・『海道記』・・・鎌倉時代中期の京都・鎌倉間の紀行文。
 ・『奥州後三年記』・・源義家が、奥羽地方の豪族清原氏の内紛に介入し出兵した
            後三年合戦の話。

正解は、「3 『海道記』」です。

海道記
 ・作者は京都白河付近に住む50歳くらいの遁世者。詳細は不明。
 ・1223年4月4日に京都を出発して同17日に鎌倉に着き、5月初めに帰途につくまで
  の紀行文。

 当時、鎌倉が繁栄していた様子が、次のように記されています。
由比ヶ浜には、「数百艘の船がつながれていて、近江の大津浦のようである
千万の家が軒を並べていることから、木津・宇治・桂の三川が合流する大淀渡のようである
東南の角一道は港に通じており、商人が多く賑わっている」 

「町屋址」の石碑が建っている当時商業地域だった大町周辺
 町屋址.JPG

古事記について
 ・奈良時代の初めの712年に編纂された日本最古の歴史書です。
 ・稗田阿礼が覚えていた故事を、太安万侶が編纂して元明天皇に献上しました。
 「古事記」の景行天皇条で、その子の倭建命(ヤマトタケルノミコト)の系譜を紹介するところで、「鎌倉」が出てきます。

 それは、山代之玖玖麻毛理比売(ヤマシロノククマモリヒメ)との間にできた子、足鏡別王(アシカガミワケノミコ)についての次の記述です。

 「足鏡別王は、(鎌倉の別・小津、石代の別・漁田の別の祖なり)」
 ※「鎌倉の別(わけ)」とは、奈良時代の鎌倉郡鎌倉郷を支配した
  一族のことを表します。  

 
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2017年12月04日

2017年鎌倉検定3級の問題をpickupする−歴史・旧跡編(1)

2017年の鎌倉検定は11月26日に行われました。
 今月は、今年の3級の問題をいくつか取り上げて見てみましょう。

 今回は、「承久の乱について」です。
[1]鎌倉の歴史・旧跡に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。
 ⑶ 源実朝の暗殺を北条義時追討の好機と考えて,鎌倉幕府に戦いを挑んだ人物はだれか。
  1 後三条天皇  2 鳥羽上皇  3 後白河法皇  4 後鳥羽上皇
 

 ・1219年(承久元年)、源実朝は甥の公暁によって暗殺され、御家人は動揺しました。
 ・後鳥羽上皇は、幕府が弱体化したと考え、討幕の意志を固めました。
 ・1221年(承久3年)、後鳥羽上皇は北条義時追討の院宣を諸国の武士に発し、鎌倉
  幕府との戦いが起きました。

 ※「鎌倉検定−天変地異起こる(1221年5月19日)を読む(2)」を参照。

正解は、「4 後鳥羽上皇」です。

後鳥羽上皇の系図
 後鳥羽上皇系図.jpg
 ・後鳥羽天皇として1183年〜1198年に在位し、以降、上皇として院政を敷きました。
 ・歌人でもあり、百人一首にその歌を残しております。
  「人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は(後鳥羽院)

承久の乱(1221年(承久3))
 ・1221年の戦いを「承久の乱」といい、「北条政子・義時 VS 後鳥羽上皇」の戦いの
  構図です。
 ・この戦いで、北条政子は動揺していた御家人へ源頼朝の御恩を説き、その訓示で幕府
  は結束したということです。

☆伝説☆「後鳥羽上皇の恨み」
 1239年、鎌倉の街の方々で大騒動が起きました。
 その後も幕府の要人達が次々と変死を遂げていきました。

 承久の乱で敗れ隠岐に流されていた後鳥羽上皇の恨みが原因だろうということで、1247年に神社を建て、霊を祀りました。
 その神社が、鶴岡八幡宮の裏手にある「今宮(新宮)」ということです。 

 
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