2017年10月09日

鎌倉検定−後北条氏の盛衰(1463年12月15日)を読む(2)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「非力な堀越公方足利政知」です。
E寛正4年(1463)12月15日
 堀越公方足利政知、鎌倉五山の住持の任命を幕府に申請したが、関東管領山内上杉房顕の副状が無いため許可されなかった。
 鎌倉公方が事を幕府に申請する場合、関東管領の副状を必要とすることは、古河公方足利成氏の勢力を抑制するためであった。

堀越公方「足利政知」の動向
 1458年、「堀越公方」となって以降、次のような動きをしています。 
 ・1459年、関東の上杉房顕らの幕府連合軍が足利成氏軍に大敗したため、1460年、足利政知は年内に相模に入り、その後鎌倉を目指したが、将軍足利義政に制止されました。
 ・1461年、関東管領山内上杉房顕は、足利政知を通さずに被官に命令を出すなど、鎌倉公方と関東管領との関係は薄弱でした。
 ・1466年、足利政知は、円覚寺や壽福寺の住持の人事について幕府の許可を得るが、発給文書の多くは社寺に関するもので、政治的・軍事的なものはあまりありませんでした。
 
鎌倉五山
 ・後醍醐天皇、足利尊氏、足利義詮が決めてきましたが、最終的には、1342年、3代将軍「足利義満」によって現在の形になりました。
第一位 巨福山建長寺

1253年、北条時頼が創建。
※「北鎌倉のお寺を見る(巨福山)」を参照。
第二位 瑞鹿山円覚寺

1282年、北条時宗が創建。
※「北鎌倉のお寺を見る(瑞鹿山)」を参照。
第三位 亀谷山壽福寺

1200年、北条政子が創建。
※「鎌倉扇ヶ谷のお寺を見る(亀谷山)」を参照。   
第四位 金宝山浄智寺

1281年、北条宗政夫人と子の師時が創建。
※「北鎌倉のお寺を見る(金宝山)」を参照。
第五位 稲荷山浄妙寺

1188年、足利義兼が創建。
※「鎌倉浄明寺のお寺を見る(稲荷山)」を参照。

 ※創建された順序としては、「浄妙寺→壽福寺→建長寺→浄智寺→円覚寺」となります。

 
posted by トシ999 at 19:13| Comment(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月07日

鎌倉検定−後北条氏の盛衰(1458年7月5日)を読む(1)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回から、第2部第2章「後北条氏の盛衰」を読みます。
 まずは、「堀越公方の始まり」です。
A長禄2年(1458)7月5日
 足利政知、円覚寺塔頭黄梅院領の鎌倉山崎村における軍勢・甲乙人らの乱暴狼藉を禁ずる。
 政知の再度の関東下向の時期は、この年の5月から8月ごろと推測されているが、政知は鎌倉に入ることはなく、伊豆の堀越(御所は現、伊豆の国市韮山町付近にあったとされる)に留まった。
 そのため、堀越公方と呼ばれた。

足利政知(1435〜1491年)
 将軍足利義政の異母兄。初代堀越公方
 最初は僧侶となっていましたが、足利成氏討伐のために還俗しました。
 1457年、鎌倉公方として渋川義鏡を補佐役に京都から鎌倉に向ったが、鎌倉には入れませんでした。

当時の勢力イメージ
  関東勢力イメージ.jpg

円覚寺塔頭黄梅院
 ・五山文学の隆盛に貢献した「夢窓疎石」の塔頭です。
 ・のちに室町幕府2代将軍「足利義詮」の遺骨が分骨され、足利氏の菩提寺の性格も帯びました。
円覚寺境内の一番奥にある「黄梅院」の山門前
 黄梅院.JPG

境内奥にある「聖観音」が祀られている「観音堂」
 黄梅院聖観音.JPG

 
posted by トシ999 at 11:57| Comment(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月06日

鎌倉の段葛から鶴岡八幡宮の今は 2017.10

中秋の名月も過ぎた今、「段葛」から「鶴岡八幡宮」へ向かって様子を見てみました。

段葛
 ・2016年(平成28)3月30日に新装されてから1年半が経ちました。
 ・源頼朝が造成したのが1182年3月ですから、835年経ったわけです。
 段葛.JPG
 ※「若宮大路の造成」については、「鎌倉検定−頼朝の鎌倉入り(1182年3月15日)を読む(4)」を参照。

鶴岡八幡宮
参道からは、「舞殿(下拝殿)」と、その後ろに「本宮(上宮)」が少し見えます
鶴岡八幡宮参道.JPG

1191年、源頼朝は本宮(上宮)を創建し、現在のような上下両宮の姿となりました
 舞殿と本宮1.JPG

1193年には、「舞殿(下拝殿)」が新造されました
 舞殿と本宮2.JPG
 ※1191年の大火後の若宮(下宮)再建については、「鎌倉検定−頼朝の鎌倉入り(1191年3月4日)を読む(12)」を参照。

本宮に上る石段の左手の「子イチョウ」は、ずいぶん成長しました
本宮.JPG

「隠れイチョウ」で有名な大イチョウは、2010年(平成22)3月に倒伏し、現在その根元からヒコバエが成長しています
イチョウの木.JPG
 ※「隠れイチョウ」については、「鎌倉検定−天変地異起こる(1219年1月27日)を読む(1)」を参照。

源氏池のハスの様子は、夏の終わりを象徴しています
源氏池のハス.JPG

 
posted by トシ999 at 01:00| Comment(0) | 日記_2017 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする