2017年08月04日

鎌倉大町界隈の今は 2017.8

大町四ツ角」の周辺の様子を見てみました。

「大町四ツ角」の周辺の地図
大町エリア散策.jpg

町屋址(海側から「大町四ツ角」方面を見る)
 町屋址.JPG

町屋址石碑.JPGこの辺りは、鎌倉時代に鎌倉が繁栄していた当時、商業地域でした。
その中央の大通を「大町大路」と呼んでいました。

 その他には、「米町、辻町、魚町、名越」などの区域がありました。それぞれの町屋のあった所と思われます。

なお、「吾妻鏡」では、商業活動を行う場所として、「大町・小町・米町・亀谷辻・和賀江・大倉辻・気和飛坂山上」の7か所が登場します。

鎌倉十橋の一つ「逆川橋(さかがわばし)」(「さかさがわばし」ともいわれます)
 住宅地の中にある逆川は、大町・名越の奥から流れてきて、滑川に合流する川だが、名越から流れる川筋が屈曲して北上し、川の流れが逆行しているように見えます。
 普通は海に向かって南へ流れている流れが、再び山に向かって逆行するこの辺りに橋が架けられているので、「逆川橋」と呼ばれています。
 逆川橋1.JPG

 逆川橋2.JPG

法華山本興寺(大町)
山門
 1336年創建。日蓮宗。開基は天目。開山は日什。
 本興寺山門.JPG

本堂横に、サルスベリの大木があります
 本興寺.JPG

 本興寺サルスベリ1.JPG

本堂側から山門側を見て
 本興寺サルスベリ.JPG

慧雲山常栄寺(大町)
山門
 1606年創建。開山は日詔。愛称は、「ぼたもち寺」です。
 1271年の「龍ノ口の法難」の際、捕えられた日蓮が裸馬に乗せられ小路を引きまわされている途中、この地に住む桟敷の媼が日蓮に「ゴマの餅」を捧げたという話が伝わっています。
 寺号は媼の法号である「妙常日栄」からとられました。
 常栄寺山門.JPG

山門の前には、フヨウが見られます
 常栄寺フヨウ.JPG

本堂前には、オオハンゴンソウが見られます
 常栄寺.JPG

 常栄寺オオハンゴンソウ.JPG

 
posted by トシ999 at 17:34| Comment(0) | 日記_2017 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

8月の鎌倉では何を見ましょうか

鎌倉の行事・イベント、8月にはいろいろあります。
8月6日〜9日 
8月6日(立秋の前日) 
8月7日 
8月9日 
8月10日 
8月10日 
8月16日 
8月19日 
8月20日
 
ぼんぼり祭(鶴岡八幡宮)
夏越祭(鶴岡八幡宮)
立秋祭(鶴岡八幡宮)
実朝祭(白旗神社:鶴岡八幡宮)
黒地蔵縁日(覚園寺)
四万六千日(杉本寺・長谷寺・安養院ほか)
閻魔縁日(圓應寺)※1月16日にも行われます。   
玉縄史蹟まつり(岡本郵便局手前の首塚)
鎌倉宮例祭(鎌倉宮)
 

ぼんぼり祭(鶴岡八幡宮)(2016年8月)>
 ぼんぼり祭.JPG


花としては、鎌倉検定公式テキストブックでは「サルスベリ、フヨウ」が紹介されています。
・サルスベリ・・・宝戒寺、本覚寺、極楽寺、本興寺、圓久寺、浄妙寺、海蔵寺    
・フヨウ・・・妙隆寺、浄泉寺、瑞泉寺、極楽寺
 

本覚寺のサルスベリ(2016年8月)>
 本覚寺サルスベリ.JPG

妙隆寺のフヨウ(2016年8月)>
 妙隆寺フヨウ.JPG

さて、暑い中、どこを散策するかですね。

 
posted by トシ999 at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2017 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月28日

鎌倉検定−蒙古の襲来(1333年12月14日)を読む(22)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「足利直義の鎌倉下向」です。 鎌倉幕府が滅亡し、鎌倉はどうなったのでしょうか?
(36)元弘3年(1333)12月14日
 足利直義が成良親王を奉じて鎌倉に下向する。
 鎌倉幕府滅亡後、足利尊氏の嫡子千手王(のちの義詮)が鎌倉に入り、二階堂の別当坊で軍勢を統括し、新田義貞も足利氏に野心のないという起請文を退出していた。
 しかし、幼少の千手王では心細いと、この日、4歳の後醍醐天皇の皇子成良親王を奉じて、尊氏の弟直義が鎌倉に入ったのである。

足利直義(1306〜1352年)
 足利貞氏の三男で、足利尊氏の同母弟。
 鎌倉幕府滅亡後、鎌倉に入り、尊氏とともに建武の新政に貢献したが、のちに不和となり、毒殺されました。

成良親王(1326〜1344年)
 後醍醐天皇の皇子。鎌倉幕府滅亡後、関東統治を目的に鎌倉へ下向。
 その後、京に戻り、1335年征夷大将軍に任ぜられるが、まもなく解任されました。

泉谷山浄光明寺
 1251年創建。開山は真阿(真聖国師)。開基は北条長時(6代執権)。
 1333年に成良親王の祈願所となる一方、浄土、華厳、真言、律の四つの勧学院を建て、学問道場としての基礎を築きました。
 また、足利尊氏、直義兄弟の帰依は厚く、寺領や仏舎利の寄進を受けました。

山門
 浄光明寺山門.JPG
 ※このお寺については、「鎌倉扇ヶ谷のお寺を見る(泉谷山)」を参照。



これで、「第一部 鎌倉幕府の興亡  第三章 蒙古の襲来」は終わりです。

次回から、「第二部 鎌倉公方の盛衰  第一章 鎌倉公方の誕生」を読みます。

posted by トシ999 at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする