2018年05月29日

鎌倉ゆかりの人物―芥川龍之介のあれこれ

「鎌倉検定公式テキストブック(新版改訂)」から、鎌倉ゆかりの人物を見てみました。

今回は「芥川龍之介」です。

芥川龍之介(1892(明治25)〜1927年(昭和2))
 ・大正時代に鎌倉と深い関わりを残した作家。
  作品に『羅生門』『鼻』『蜘蛛の糸』『地獄変』『奉教人の死』『河童』など。

 ・1916年(大正5)、第4次「新思潮」を久米正雄、松岡譲、菊池寛らと創刊。
      横須賀の海軍機関学校の教師時代、由比ヶ浜の海浜ホテル近くに下宿。
 ・1918年(大正7)、塚本文と結婚し、約1年材木座で新婚生活後、東京に移住。
 ・1923年(大正12)、避暑のため鎌倉駅近くの旅館平野屋に逗留。

  ※写真は、「鎌倉文学館HP」を参照下さい。

芥川龍之介が材木座で新婚生活を送った場所
 ・元八幡の近くです。今は、アパートなどの住宅が立ち並んでいます。
芥川龍之介元住居地図.jpg

鎌倉同人会が設置した由比ヶ浜の「鎌倉海浜ホテルの石碑」
 ・「ここに鎌倉海濱院、鎌倉海濱ホテルありき」と刻まれた石碑は、鎌倉海浜公園の
  奥、江ノ電タンコロの横にあります。
 鎌倉海浜公園.JPG

 鎌倉海浜ホテル石碑.JPG

旅館平野屋に逗留し、岡本一平・かの子夫妻と出会いました
 ・1923年(大正12)、この年は、9月に関東大震災が発生した年ですが、8月に避暑の
  ために鎌倉駅前にあった旅館平野屋に逗留していた芥川は、岡本一平・かの子夫妻
  出会いました。

 ・「岡本かの子」は、このとき会った芥川を主人公に、「鶴は病みき」を書きました。
  「鶴は病みき」は、病状が進行しつつあった時期の芥川の隠れた日常を描いたモデル
  小説といわれ、岡本かの子は、その話題性によって文壇への足がかりを得ることに
  なりました。

かつての旅館平野屋があった辺りに建つ「ホテルニューカマクラ」
 ・鎌倉駅西口近くに建ち、木製の上げ下げ窓が整然と並ぶ概観が特徴的です。
ホテルニューカマクラ1.JPG

 ホテルニューカマクラ2.JPG

「ホテルニューカマクラ」は、鎌倉市景観重要建築物等のひとつ
 ・1924年(大正13)ごろの建築。戦前のホテル建築として貴重。
 ホテルニューカマクラ3.JPG

 ・ホテルニューカマクラの駐車場の脇に、「芥川龍之介」と「岡本かの子」の出会いを
  説明した看板があります。
ホテルニューカマクラ4.JPG

そのほかの鎌倉文士などとの関わり
 ・鎌倉在住の日夏耿之助広津和郎と親交しました。
 ・夏目漱石の門下生でありました。

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2018年05月27日

鎌倉ゆかりの人物―赤橋(北条)守時のあれこれ

「鎌倉検定公式テキストブック(新版改訂)」から、鎌倉ゆかりの人物を見てみました。

今回は「赤橋(北条)守時」です。

赤橋(北条)守時(1295〜1333年)
 ・北条氏最後の16代執権。第6代執権・北条長時の曽孫にあたります。
  父は、赤橋流の北条久時。妹は、足利尊氏の正室です。

赤橋(北条)守時の系図
北条執権全図.jpg

朱塗りの板橋であったので「赤橋」と呼ばれていた「鶴岡八幡宮の太鼓橋」
 ・赤橋流北条氏は、屋敷をこの付近に構えたことから「赤橋」を名乗りました。
 段葛から赤橋.JPG

 境内から赤橋.JPG

付近のやぐらの被葬者に対する供養塔といわれる「泣塔」
 ・1333年の鎌倉攻め際、新田軍と赤橋守時率いる北条勢との間で激戦が繰り広げられた
  「洲崎古戦場」の石碑の近くで、深沢多目的スポーツ広場(旧国鉄工場跡地)に建つ
  宝筺印塔。
 ・赤橋守時は、新田軍を迎え撃つ先鋒隊として出撃し、洲崎で自刃しました。
 泣塔1.JPG

 泣塔2.JPG

 ・昔、一時、手広の青蓮寺に移されたが、毎晩、元の場所を恋しがるようにすすり泣く
  声がするため戻され、その後、泣き声は止まったといいます。

 ・塔の銘には、「文和五年(1356年)」とあります。保存状態がよく、年代が明らかで
  形が美しいことから、1933年(昭和8)に、国の重要美術品に指定されました。
  また、1971年(昭和46)には、市指定有形文化財に指定されました。

湘南モノレールの湘南深沢駅近くにある「洲崎古戦場の石碑」
洲崎古戦場石碑.JPGこの辺りは、昔は州崎卿の地域に属しました。
元弘三年(1333)5月、新田義貞の鎌倉攻めの折、武将の堀口三郎貞満と大島讃岐守守之が州崎口より攻め込んできました。
鎌倉方は、赤崎相模守守時を大将として迎え撃ちましたが、激戦は60回以上に及び、遂に敗れ、守時はじめ90人以上が自刃したといいます。
この辺りが、その古戦場の跡です。

<「泣塔」と「洲崎古戦場の石碑」の場所>
洲崎古戦場石碑 泣塔地図.jpg

浄光明寺敷地絵図に登場する「赤橋守時」の屋敷区画
 ・この絵図は、鎌倉幕府滅亡の後に寺の関係者が寺領を保護してもらうため、足利直義
  の執事上杉重能に差し出し、その許可を得たもの。
  (鎌倉時代の「鎌倉」地区を示す唯一の絵図(国重文))

 ・絵図の真ん中右側には、「北条(赤橋)守時」の屋敷区画があります。
  すぐ東側には「御中跡」とあり、北条高時の屋敷でした。

 ※「浄光明寺敷地絵図」は「ココ」を参照。

 
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2018年05月26日

鎌倉大巧寺のイワガラミの今は 2018.5

「おんめさま」の名で親しまれ安産祈願で有名な「大巧寺」の「イワガラミ」を見てみました。

 東慶寺の「イワガラミ」は、「鎌倉東慶寺のイワガラミとイワタバコの今は 2018.5」を参照。

長慶山大巧寺(小町)
 ・日蓮宗。開山は日澄。
  もともとは十二所にあって、大行寺という真言系の寺院だったが、源頼朝がこの寺で
  軍議のあと大勝を収めたことにちなみ、現在の名前に改名したと伝えられています。
 大巧寺.JPG
 ※このお寺については、「鎌倉小町のお寺を見る(長慶山)」を参照。

岩崖に絡むのではなく、大木の幹に絡む「イワガラミ」が見頃です
 大巧寺イワガラミ.JPG

 大巧寺イワガラミ3.JPG

 大巧寺イワガラミ4.JPG

 大巧寺イワガラミ5.JPG

そのほか、「サツキ」も「ガクアジサイ」なども咲いています
 大巧寺サツキアジサイ.JPG

藤原定家にちなんだ「テイカカズラ」もまだまだ見られます
 大巧寺テイカカズラ1.JPG

 大巧寺テイカカズラ2.JPG


まだまだありますが、大巧寺には、本当にいろいろな花が咲いています。

 
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