2018年03月16日

鎌倉文士のこと−(2017年鎌倉検定1級の問題から)

1級の問題を見て、そこから鎌倉をよく知りましょう。

今回は、「小林秀雄について」です。
[5]次の文の〔 @ 〕,〔 A 〕に最も適当な語句を書きなさい。ただし,〔 @ 〕,〔 A 〕両方できて正解とする。
 (39) 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。
 評論家小林秀雄は,詩集『山羊の歌』などで知られる詩人〔 @ 〕とともに,〔 A 〕寺のカイドウを仰ぎ見たと,『〔 @ 〕の思ひ出』の中で書いている。〔 A 〕寺のカイドウも現在は3 代目となっている。 

 ・詩人の中原中也は最晩年に扇ガ谷に転居し、小林秀雄、大岡昇平らと交流しました。
 ・かつて鎌倉三大カイドウとは、光則寺、安國論寺、妙本寺のカイドウのことでした。

正解は、「@中原中也 A妙本」です。

小林秀雄(1902〜1983年)
 ・日本における近代批評を確立した評論家
  1931年、由比ヶ浜に転入後、扇ガ谷、雪ノ下と移り住みました。
  
 ・「様々なる意匠」でデビューした「小林秀雄」は、終生を鎌倉で送り、中原中也
  交流がありました。
  著書に「無常という事」、「本居宣長」などがあり、多彩な文明批判を繰り広げま
  した。
 ※「小林秀雄」については「鎌倉文学館の鎌倉ゆかりの文学者(小林秀雄)」を参照。

 ※「中原中也」については「鎌倉文学館の鎌倉ゆかりの文学者(中原中也)」を参照。

東慶寺にある「小林秀雄の墓」
 小林秀雄墓.JPG

妙本寺のカイドウ
 ・1937年(昭和12)、中原中也とともに見上げたと、小林秀雄が『中原中也の思ひ
  出
』に描いたカイドウがあったが、現在は3代目になっています。

 ※『中原中也の思い出』
  ・大正14年(1925)23歳の小林秀雄は中原中也と出会いましたが、中原と同棲して
   いた長谷川泰子は、小林と同棲するようになりました。
   中原中也・小林秀雄・長谷川泰子の奇怪な三角関係が出来上りました。
   この事が、小林と中原との間を目茶々々にしたという思いが『中原中也の思い出』
   に書かれています。

4月中旬には満開の花が見られる妙本寺祖師堂前の「カイドウ」
 妙本寺カイドウ1.JPG

 妙本寺カイドウ2.JPG

 妙本寺カイドウ3.JPG

 ※妙本寺については、「鎌倉大町のお寺を見る(長興山)」を参照。

 
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2018年03月13日

由比ヶ浜通りの六地蔵のこと−(2017年鎌倉検定1級の問題から)

1級の問題を見て、そこから鎌倉をよく知りましょう。

今回は、「由比ヶ浜通りの六地蔵について」です。
[5]次の文の〔 @ 〕,〔 A 〕に最も適当な語句を書きなさい。ただし,〔 @ 〕,〔 A 〕両方できて正解とする。
 (38) 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。
 鎌倉時代,由比ヶ浜通りと今小路の交差地点に並ぶ六地蔵の北側には刑場があったといい,そのため「〔 @ 〕」と呼ばれる荒れ地だった。江戸時代,俳人の〔 A 〕が芭蕉をしのんで句碑を建てた。 

 ・鎌倉時代、このあたりが刑場であったため、長い間「飢渇畠(けかちばたけ)」と
  呼ばれる荒地になっていました。
 ・芭蕉の句碑は、飢渇畠とは直接関連はないが、雪ノ下に住んでいた芭蕉の弟子松尾
  百遊が芭蕉の没後92年に建てたものです。

正解は、「@飢渇畠 A松尾百遊」です。

六地蔵
「六地蔵」が祀られている場所
六地蔵地図.jpg

由比ヶ浜通りと今小路の交差点に並ぶ「六地蔵」
 ・罪人の供養のために、生死をくり返す六つの迷いの世界(六道)から救うといわれる
  六体の地蔵が祀られています。
 六地蔵1.JPG

 六地蔵2.JPG

 六地蔵3.JPG

「飢渇畠」の石碑
飢渇畠石碑.JPG
ここは昔は刑場でした。

後に土地の人が六地蔵を祀って供養塔や芭蕉の句碑を建て、今石の柵をめぐらし整備しました。

風雨によって劣化した芭蕉の句碑:「夏草やつはものともが夢の跡」
 ・この碑は、雪ノ下にて旅館「吾妻屋」を営んでいた松尾百遊(本名、瀧右衛門)が、
  芭蕉をしのんで天明6年(1786年)に建てました。
  百遊は明治の廃仏毀釈によって壊された鶴岡八幡宮の別当寺院の一つ、等覚院の目代
  を務め、鎌倉絵図なども出版していました。
 松尾芭蕉句碑1.JPG

 松尾芭蕉句碑2.JPG

 
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2018年03月11日

葛原岡神社の周辺事項のこと−(2017年鎌倉検定1級の問題から)

1級の問題を見て、そこから鎌倉をよく知りましょう。

今回は、「葛原岡神社の祭神や周辺のやぐらついて」です。
[5]次の文の〔 @ 〕,〔 A 〕に最も適当な語句を書きなさい。ただし,〔 @ 〕,〔 A 〕両方できて正解とする。
 (37) 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。
 後醍醐天皇の側近で文章博士の〔 @ 〕は,天皇の鎌倉幕府倒幕計画で捕われて,鎌倉に送られ,葛原ヶ岡の刑場で処刑され,後に,葛原岡神社の祭神として祀られた。
 この神社の周辺には〔 A 〕やぐら群もある。

 ・1887年(明治20)に創建された葛原岡神社の祭神は、文章博士の「日野俊基」。
 ・「葛原岡神社の北側の谷」には、五穴からなる鎌倉時代のやぐら群があります。

正解は、「@日野俊基 A瓜ヶ谷」です。

葛原岡神社(梶原)
 ・1887年(明治20)創建。由比ヶ浜の鎮守。
  後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した「日野俊基」を祀っています。

 ・明治天皇は、「日野俊基」に明治維新の先駆けとして深い思いを寄せ、明治20年、
  俊基の最期の地に社殿を造営しました。
 葛原岡神社.JPG

「元弘の変」で、「日野俊基」も葛原ヶ岡で処刑されました
 日野俊基終焉の地石碑.JPG

「日野俊基終焉の地石碑」から少し離れた所にある「日野俊基の墓」
 日野俊基の墓.JPG

 ※「元弘の変」については、「鎌倉検定−蒙古の襲来(1331年5月5日)を読む(20)」を参照。

瓜ヶ谷やぐら群
 ・「葛原岡神社の北側の谷」にある五穴からなる鎌倉時代のやぐら群。
  鳥居形、五輪塔など壁面彫刻が多い。
「瓜ヶ谷やぐら群」の場所
瓜ヶ谷やぐら群地図.jpg

「瓜ヶ谷やぐら」の数々
  内部に丸彫りの地蔵菩薩像があるものは「地蔵やぐら」ともいわれます。
 瓜ヶ谷やぐら1.JPG

 瓜ヶ谷やぐら2.JPG

 瓜ヶ谷やぐら3.JPG

 瓜ヶ谷やぐら4.JPG

 瓜ヶ谷やぐら5.JPG

「やぐら」とは、丘陵山腹を穿って造られた仏堂的横穴墳墓などの総称です
 ・「やぐら」は、一般的に、内部は方形に削られた玄室(げんしつ)、中央に羨道
  (せんどう)(玄室に向かう通路、あるいは入口)があります。
  →図は、「コチラ」を参照。

 ・現在,鎌倉市内で知られている「やぐら」の数は1000基を超すといわれています。

 
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