2023年03月04日

鎌倉甘縄神明神社の玉縄桜を見る 2023.3

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甘縄神明神社では、何本もの「玉縄桜」が満開です。

玉縄桜
・1969年(昭和44)、大船にある県立フラワーセンター大船植物園でソメイヨシノの種をまいた中から、早咲きで、花期(花をつける期間)が長い株が発見された。
・その後、同フラワーセンターの職員の手によって特性調査が行われ、株数を増やし、固有種として生育させることに成功した。
 1990年(平成2)には、「玉縄桜」の名前で正式に新種として登録されている。
・開花時期は毎年2月の中旬で、花期は1ヶ月を超えるため一足早い花見をじっくりと堪能することができる。
・これまで、発見されてから50年、また地元の固有種にもかかわらず、さほど知名度が高くなかった。
 しかし近年、「玉縄桜をひろめる会」が積極的に苗木を市内各所に植樹し、小中学校、公園をはじめ、市域以外の県内各所も含め、現在では500本以上の「玉縄桜」が植えられている。

 ※「2022年鎌倉検定3級の問題から見る鎌倉(31)−大船フラワーセンターで生育された桜」を参照。

甘縄神明神社(長谷)
 ・710年創建。長谷の鎮守。祭神は天照大神。
 ・行基が草創し、豪族染屋時忠(由比の長者)が建立した鎌倉で一番古い神社とされて
  います。
 ・源頼義が当社に祈願して子宝(八幡太郎義家)を授かったことから、源氏との縁が深
  い神社として信仰されています。
 ・源頼義や義家は社殿を修復、頼朝も社殿を修復し荒垣や鳥居を建て、実朝や北条政子
  も参詣したと伝えられています。

「鳥居」と、社殿への階段下の「北条時宗産湯の井」
 甘縄神明神社1_R.JPG

 甘縄神明神社2_R.JPG

万葉集に「鎌倉」が詠まれている歌の「万葉集の歌碑」
 ※「鎌倉のみ越の崎の岩崩の 君が悔ゆべき心は持たじ」
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「拝殿」と、その裏には「本殿」があります
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境内の「玉縄桜」の景観
 甘縄神明神社タマナワザクラ1_R.JPG

 甘縄神明神社タマナワザクラ2_R.JPG

 甘縄神明神社タマナワザクラ4_R.JPG

 甘縄神明神社タマナワザクラ5_R.JPG

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2023年03月03日

鎌倉文学館の今は 2023.3

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鎌倉文学館は、2023年3月27日(月)〜2027年3月31日(水)まで休館です。
この間、大規模改修が行われる予定です。

現在、「鎌倉文学年表 古典編」が開催されています。
(2023/1/4(水)〜3/26(日))

鎌倉文学館(長谷)
・1936年(昭和11)に旧加賀藩前田家16代当主前田利為により建築された、鎌倉の別荘建築を代表する建物です。
・ノーベル平和賞を受賞した元内閣総理大臣佐藤栄作が別荘として利用し、三島由紀夫の小説『春の雪』の一舞台ともなりました。

・1983年(昭和58)に前田家より鎌倉市に寄贈され、1985年(昭和60)から「鎌倉文学館」として公開されています。
・相模湾を見渡す谷戸の中腹にある立地を生かした、明るく眺望の良い庭があります。

鎌倉文学館の説明板
 鎌倉文学館説明板_R.JPG

4年間見られなくなる鎌倉文学館の姿
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 鎌倉文学館2_R.JPG

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庭園では、「河津桜」と「玉縄桜」が咲いています
 ・左に玉縄桜、右に河津桜が咲いています。
 鎌倉文学館桜_R.JPG

 ・河津桜
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 鎌倉文学館カワヅザクラ3_R.JPG

 ・玉縄桜
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旧里見ク邸の「椿」も咲いています
 旧里見ク邸の椿1_R.JPG

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 旧里見ク邸の椿3_R.JPG

 
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2023年03月02日

2022年鎌倉検定3級の問題から見る鎌倉(39)−壽福寺裏山の墓地にある供養塔

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2022年11月に3年ぶりに行われた鎌倉検定の3級の問題から、鎌倉を振り返ってみましょう。

今回は、「壽福寺裏山の墓地にある供養塔」についてです。
[3]鎌倉の寺院・神社に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。
 (39) 壽福寺裏山の墓地にある供養塔は北条政子とだれのものと伝えられているか。
   1 源実朝   2 源頼朝   3 北条義時   4 北条泰時

 ・北条政子の次男で、鎌倉幕府3代将軍であった人物の供養塔と伝えられています。

正解は、「1 源実朝」です。

 ※源実朝は、「ふりかえり鎌倉―鎌倉幕府3代将軍と暗殺事件(鎌倉検定:歴史・旧跡編(5))」を参照。

亀谷山壽福金剛禅寺(扇ガ谷)
 ・1200年、北条政子が、日本に初めて臨済禅を伝えた臨済宗の祖、栄西を招いて開山
  しました。
 ・この地一帯は、源頼朝の父義朝の屋敷跡とされています。

壽福寺総門
 壽福寺総門_R.JPG

壽福寺裏山の墓地にある「北条政子の供養塔」
 北条政子の墓_R.JPG

◎源実朝(1192〜1219年)
 ・鎌倉幕府3代将軍。源頼朝の次男で、頼家の弟。
 ・鎌倉時代前期の万葉調の歌人として知られ、藤原定家に師事しました。
  家集に『金槐和歌集』。

壽福寺裏山の墓地にある「源実朝の供養塔」
 源実朝の墓_R.JPG

 
posted by トシ999 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定(過去問) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする